かつての美濃国である岐阜県可児市の今城(いまじょう)は、森可成に仕えた小池氏の居城跡です。
本能寺の変後、小池氏は森氏に反抗して、今城は廃城になりました。
今城はこじんまりとした小さい城跡ですが、当時の小豪族の城の様子がよく分かります。
この記事では今城の行き方から駐車場、そして見どころをチェックしてみましょう。
まず今城跡は車でのアクセスが便利です。
そして駐車場は可児市今公民館の駐車場が利用できるので、今公民館を目指します。
可児市今2008
今公民館に着いたら、そこからは歩いて今城跡まで移動します。
それでも徒歩5分くらいです。
今城周辺は住宅地になっており、道も細いので、路上駐車などは厳禁ですよ。
では今城を巡ります。これは大手門。
大手門とは城の玄関口のこと。今回もここから入城します。
井戸跡。
城にとって井戸、つまり水の手(水がある場所)は重要です。
当時からの大きさではなく、明治24年の濃尾地震で現在の様な形になってしまった様です。
今城のふもとには、城主・小池氏の館跡がありました。現在では建物の柱跡や礎石などは残っていませんでした。
小池氏の館跡と伝わる三の丸のすぐ近くにあった五輪塔。古いお墓ですね。
地元では今城主・小池氏のお墓といわれています。
虎口(こぐち)とは、曲輪の出入り口の事。攻めにくく守りやすい工夫が施してあります。
分かりやすく言うと、入りにくい様に折り曲げてあるのです。
切岸(きりぎし)とは、簡単にいうと山の斜面を人工的に更に削り、角度をつけた遺構。
こうすることにより、敵が登りにくくなるのです。
今城の切岸は、かなり崩れて斜面緩やかになっていますが、当時は直角に近い状態だったのでしょう。
土橋(どばし)とは、簡単にいうと両側を堀で挟んだ土の細い橋のこと。
敵が土橋を通る時は縦1列〜2列くらいになるので、横展開を防ぐことができます。
その細い敵の隊列めがけて、横や前の城壁から鉄砲や矢で攻撃されるのです。
本丸にたどり着きました。
本丸にはベンチなどもあり、ここで休憩できます。
本丸にある今城の縄張り図。
現在でもこの縄張り図とほぼ同じ様に遺構が残っています。
本丸でもうひとつチェックシておきたいのが、パンフ置き場です。
しかし私が行った時にはすでに品切れでした…
これも時の運ですね。
本丸は土塁に囲まれていたようです。土塁とは土の壁の事。
こうすることにより、敵が本丸に侵入するならこの土の壁を越えなくてはなりません。最後の抵抗ですね。
本丸にも虎口(曲輪の出入り口)があります。
でもココも折れ曲がっており、ストレートに本丸の中に入れない仕組みになっております。
今城の所要時間は約30分もあれば一通り見ることができると思います。
そして私の感想ですが、今城は小さな城跡ですが、城巡り好きな方にはオススメだと思いました。その理由は2つあります。
まずコンパクトな城跡ながら、曲輪、井戸、虎口、土塁、堀、切岸、土橋などの一通りの遺構を確認する事ができます。
これだけあれば見応えもありますね。
また2つめの理由ですが、城内は公園整備されており、見学しやすいからです。
ただ今城だけだと30分くらいで終わるので、久々利城や金山城、そして明智長山城など、他の可児市の城をセットにするとよいでしょう。