織田信長と母・土田御前の像がある可児市土田城跡

織田信長と母・土田御前の像がある可児市土田城跡


可児市土田にある土田(どた)城跡は、信長の母である土田御前の生誕地といわれている城跡です。

 

 

土田城を築いた土田氏は、この地に勢力を持っていた豪族でした。弘治二年(1556)、土田源太夫が明智城で亡くなった後、尾張・丹羽郡小折城の生駒親重・親正が城主となります。その後、親正は織田信長に仕え、天正二年(1574)、土田城を去り、土田城は廃城になりました。

 

 

土田城に関してはこのくらいのことしか歴史に残っていません。ですが信長の母・土田御前は信長の父・織田信秀に嫁いでいることから、隣国美濃において、それなりの力を持った一族だったのでは無いかと思われます。

 

 

 

 

 


現在、土田城後と伝わる場所は、可児市土田にあります。こんもりとした平山城で、中には曲輪が2つほどありますが、生い茂っておりよくわからない状態です。

 

 

>>土田城跡の場所の地図

 

 

 

土田御前と信長の像

 


土田城跡近くにあるショッピングセンター・湯の華市場の道路脇に、幼少期の織田信長(吉法師)と、母・土田御前の像があります。

 

 

 


銅像近くにある土田御前の系図。これを見ると土田氏の血は織田氏、浅井氏、徳川氏を通じて現在の天皇家に流れている事が分かりますね。なるほど!

 

 

 


土田御前は、『うつけ』といわれる信長を嫌ってか、弟・信勝(信行)を支持する様になります。でもこの像は、まだ信長が幼少の頃、吉法師という名前だった頃です。この頃は、まさか息子が日本史に名を残す人物になるとは思ってもみなかったのでしょう。また信長の像は複数ヶ所ありますが、吉法師時代の像はここと名鉄勝幡駅くらいにしかないので、これも貴重な像といえるでしょう。

 

 

>>土田御前と吉法師の像の場所