三重県桑名市の伊勢桑名城跡は、徳川四天王のひとり・本多忠勝の居城跡です。戦国時代の永正十年(1513)、土豪の伊藤武左衛門がこの地に城館を築いたのが桑名城の始まりといわれています。その後、江戸時代には本多忠勝をはじめ何人かの藩主が変わり、幕末を迎えます。
桑名城は現在は九華(きゅうか)公園として整備されており、一見すると何もなさそうなイメージですが、城巡りファン的に見ておきたいポイントがいくつもあります。ではそんな桑名城の見どころをチェックしてみましょう!
桑名城への行き方を説明します。まずは電車編。電車で桑名城にアクセスする場合、最寄り駅は桑名駅です。桑名駅はJR線、近鉄線、養老鉄道の駅でもあるので、これらの電車でアクセスすることができます。桑名駅に着いたら徒歩20分程で桑名城へ着きます。
次に車での行き方について説明します。車で桑名城跡にアクセスする場合は、カーナビの検索で桑名城、もしくは九華公園(きゅうかこうえん)と検索すると出てくると思います。またロードマップでアクセスする場合は、桑名城跡の住所をチェックしてみましょう。
桑名市吉之丸5-1
桑名城の駐車場は、公園内にある柿安コミュニティパークの駐車場を利用すると良いです。普通車、大型車(バス)、単車(バイク)などが駐車できます。駐車料金は普通車だと1回250円です。
桑名城跡は九華公園として整備されていますが、チェックするポイントは多いです。私的には水堀跡と石垣は特に見ておきたい遺構だと思います。
公園内には大きな川や池みたいなものがいくつもありますが、実はこのほとんどが、かつての桑名城の堀跡を利用したもの。つまり水堀跡です。
また水堀跡を注意深く観察してみると、桑名城時代の石垣を見る事ができます。特に公園内を散策していると船置き場みたいなところがあるのですが、ここの石垣が分かりやすいです。
九華公園近くにある歴史を語る公園にも桑名城時代の石垣が残っており、桑名市の指定文化財になっています。これも貴重な桑名城の遺構といえるので、セットで散策することをオススメします。
公園の入り口に甲冑姿の戦国武将の銅像があります。これは桑名城主にもなった、徳川四天王のひとり本多忠勝の銅像です。本多忠勝は徳川家康の家臣団の中でも特に人気の武将。また愛知県の三河岡崎城内にある龍城(たつき)神社では、神として祭られています。
それでは九華公園となっている城内を散策してみます。桑名城はかつて51基の櫓と46基の多聞がありましたが、現在では全く残っていません。でも遺構はあります。これは神戸櫓跡。かつて伊勢神戸城の天守があったといわれる場所です。
文禄年間(1592〜96)、一柳直盛が桑名城主となると、神戸城の天守をこの場所に移しました。その後、本多忠勝が入城し、桑名城をさらに拡張して別の場所に天守を築きます。その後も伊勢神戸城の天守は櫓として残され、神戸櫓と呼ばれました。
桑名城本丸の東南角にあった、三重の辰巳櫓跡。桑名城の天守は元禄十四年(1701)に焼失してしまい、その後再建されなかったので、ここにあった辰巳櫓が桑名城の天守替わりになりました。
そのために幕末、桑名城が新政府軍に降伏した時に、降伏のしるしとして焼き払われてしまいます。現在、大砲が置かれています。
現在、桑名城跡で唯一、城っぽい建造物がこの蟠龍(ばんりゅう)櫓です。かつてここにも櫓があり、船で行きかう人々の目に留まる一番目立つ櫓でした。そのために初代・広重の東海道五十三次にも描かれています。現在の建物は、水門統合管理所になっていますが、二階部分が一般にも解放されており中に入ることもできます。
桑名城の天守台跡。ここにかつて4重6階の天守がありました。現在は三重県指定史跡。桑名城は松平定綱の寛永年間(1624〜44)に完成し、その時はここに天守がありましたが、元禄十四年(1701)に焼失してしまいます。現在の石垣は昭和53年に組み替えられたものです。ちなみに中に入ることはできません。
桑名城内を散策していると、何やらマークが入った石がありました。実はこれ、刻印石(こくいんいし)というものなんです。刻印石とは、複数の大名家で1つの城を築く時(これを天下普請という)、自分たちが苦労して切り出し運んできた石を他の大名家に持っていかれないための印。でも桑名城は、天下普請の城ではなく、複数の刻印石がある理由は、ハッキリしていません。
これは私の仮説ですが、刻印石は残石が他の城の石垣に転用されるケースがあるので、桑名城の刻印石も転用石なのかもしれません。
また愛知県豊橋市にある続100名城の吉田城も天下普請の城ではないのですが、刻印石が多数あります。
調査の結果、吉田城の刻印石は名古屋城築城のために切り出した石が使われず、吉田城に運び込まれ石垣の石として組まれたという事が分かっていますので、桑名城の刻印石もどこからか運び込まれたものなのでしょう。
船着き場があった桑名城には、東海道の七里の渡し跡もあります。東海道とは江戸時代に整備された街道で、江戸(日本橋)〜京都を結んでいましたが、唯一、陸路ではない区間がありました。それが宮宿(愛知県名古屋市熱田区)〜桑名宿間です。
宮宿から桑名宿の間は船意外に移動手段が無く、それがダメなら中山道を大きく迂回するしかありませんでした。ここはその桑名宿の船着き場です。まり桑名城のすぐ側に東海道の船着き場があり、宿場もあったということです。
これは言い換えれば、東海道を利用して江戸〜京都を往来する大名や旅人は、嫌でも桑名城近くを通らなければならず、言い換えれば城が関所みたいなものだったのでしょう。
船着き場のすぐ側には、旧東海道があり、現在でも遺構が残っています。この道沿いに桑名宿があり、当時は多くの旅人の往来や大名行列もあったのでしょう。
桑名城の遺構について。まずは桑名市大福にある了順寺の山門が桑名城の門を移築したものと伝わります。
■了順寺の場所の住所■
桑名市大福222
三重郡朝日町小向の浄泉坊には、桑名城・三の丸御殿が移築保存されています。
■浄泉坊の場所の住所■
三重郡朝日町小向955
桑名城を巡る時の所要時間ですが、私の体験ですと、ざっと巡って約1時間。ゆっくり巡っても2時間あれば十分だと思います。また私の桑名城跡の感想ですが、建物は近世に再建された蟠龍櫓くらいしかないものの、石垣や堀跡、そして櫓台や天守台などが残っているので、城巡りが好きな方にはオススメの城だと思います。特に東海道唯一の海路である、七里の渡し跡は貴重な遺構なので、街道に興味がある方は名古屋市熱田区の宮宿とセットで訪れてみるもの良いですね。