小牧長久手の戦いで攻められた美濃加賀野井城跡

小牧長久手の戦いで攻められた美濃加賀野井城跡

加賀野井弥八郎が城主だった岐阜県羽島市の加賀野井城跡
岐阜県羽島市の加賀野井城跡は天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦で羽柴秀吉の軍に攻められて落城した城です。

 

加賀野井城の住所

羽島市下中町857

 

>>加賀野井城の場所の地図

 

 

 

現地看板
 

加賀野井弥八郎が城主だった岐阜県羽島市の加賀野井城跡の看板

岐阜県羽島市指定史跡 加賀野井城跡

 

この城の築城年代は明らかでないが、天正年間(1573〜91)には加賀野井弥八郎秀望が織田信雄の臣下となり、四百五十貫文(一万石)を領して城主となっていた。

 

本能寺の変(天正十年・1582)の後、豊臣秀吉と主筋織田家との間に対立が生じ、天正十二年(1584)四月長久手において戦ったが、豊臣方の大敗となり、翌五月緒戦の雪辱のため一転して当城を攻撃した。

 

城中には信雄の援兵二千余騎も加わり必死に防いだが、豊臣方十万の大軍の前に抗しきれず、城の明け渡しと、助命を条件に講和を申し入れたが秀吉は受け入れなかった。そのため五日夜陰に乗じ大手門より打って出て、最後の決戦を試みた。衆寡敵せず城兵は枕を並べて討ち死にし、城主秀望は辛くも脱出して関東にのがれて落城するに至った。

 

平成十八年三月再建 羽島市教育委員会

 

この看板の補足ですが、秀吉による加賀野井城攻撃で城は落ちましたが、城主・加賀野井弥八郎は逃げ延び、関ヶ原合戦直前で堀尾吉晴に討たれます。その遺骸を葬った墓が愛知県知立市の宝蔵寺に残されえいます。

 

>>加賀野井弥八郎の墓の記事

 

 

 

そして周辺
 

加賀野井弥八郎が城主だった岐阜県羽島市の加賀野井城跡周辺の地形
加賀野井城の周辺は畑地になっています。またすぐ東を木曽川が流れているので、城の遺構みたいなものは残っていません。

 

私の感想ですが、加賀野井城は小牧・長久手の戦いではチラホラ出てくる城なので、こうして現地に碑や看板があると、城巡りの時に助かります。所要時間は5分ほどです。