岐阜県岐阜市の岐阜城は、織田信長や斎藤道三にゆかりがある城です。
もともとは稲葉山城(いなばやまじょう)といい、信長入城後に岐阜城という名前になった由来があります。
しかし歴史は古く、築城は建仁元年(1201)、平安時代後期から鎌倉時代にかけての公家・二階堂行政が稲葉山に砦を築いたのが始まりといわれています。
そして関ヶ原合戦では西軍の城となり、徳川家康の東軍に攻め落とされた歴史もある城です。
岐阜城は日本100名城にも指定された城で、岐阜県の観光地でもあることから、多くの観光客が訪れる観光スポットでもあります。
しかし城好きの人も納得させる史跡もたくさんあるので、岐阜城に行く前に見どころをチェックしておきましょう!
もくじ
まずは電車で岐阜城の行き方を説明します。電車でアクセスする場合、おすすめの最寄り駅はJR岐阜駅です。
岐阜駅に着いたらバスに乗って、岐阜城址がある岐阜公園を目指します。
次に車で岐阜城にアクセスする方法を説明します。
まずはカーナビで岐阜城、または岐阜公園で検索すると出てくると思います。
またロードマップで行く場合は、岐阜公園の駐車場の住所を入力すると簡単だと思います。
岐阜公園の駐車場の住所
岐阜県岐阜市上材木町379−1−1
あと岐阜公園には合計3つの駐車場があるみたいなので、状況によって使い分けると良いと思います。
次に岐阜城のふもと、岐阜公園の戦国ポイントをチェックしてみます。
岐阜公園は観光地の公園として整備され、入場は基本無料です。園内には軽食の飲食店のほか、芝生広場など、市民の憩いの場になっていますが、戦国好き、城好きの方はチェックしておきたいポイントもあるんです。
これは御手洗池(みたらしいけ)。金華山山腹に伊奈波(いなば)神社があり、参拝者が参拝前に手を洗った歴史がある事から、この名前が付きました。
また慶長五年(1600)の関ヶ原合戦の前哨戦で岐阜城が攻められた時、城主の織田秀信は降伏しましたが、岐阜城のい奥女中ら大勢の女性がこの池に身を投げたそうです。
山内一豊と妻・千代の婚礼の地の碑。
山内一豊は岐阜の隣り、愛知県一宮市もしくは岩倉市の出身という説があり、最初、織田信長は敵でしたが後に羽柴秀吉を通して仕える様になりました。
その2人を顕彰する石碑も岐阜公園に建てられています。
岐阜公園にクラーク博士?と思いきや、これは板垣退助の銅像なのです。
なぜこれがあるのかとうと、この地で板垣退助が災難に遭ったからなんですね。
明治15年4月6日午後1時のこと。
当時、自由党総理だった板垣退助は演説後、相原尚けい(あいはら しょうけい)に襲われ、あの有名な『板垣死すとも自由は死せず』という言葉を残したのです。
その地が岐阜ということで、この銅像が建立されました。
ちなみに襲われた板垣退助は一命を取り止めたので、この地で亡くなったワケではなく、遭難の地として歴史に残る事になりました。
また夢を壊す様で申し訳ないのですが、相原尚けいに襲われた板垣は、『板垣死すとも自由は死せず』ではなく、『痛い!痛い!早く病院に連れていけ!』という、旨の言葉を発したのだとか。
なので、『板垣死すとも自由は死せず』という名セリフは、後世の創作といわれています。
公園内にある岐阜市歴史博物館。ここでは岐阜城の詳しい歴史を学ぶ事ができます。
戦国時代に特化したゾーンもあって、岐阜城を訪れた際には要チェックの博物館でもあるんです。
あと岐阜公園からは岐阜城の天守が見えます。
まあ、岐阜のシンボルみたいなお城ですからね。金華山山頂を見てみると、何やら人工物の建物がある事に気が付きます。これが岐阜城の復興天守なんです。
ズームで見るとこんなカンジです。つまり言い換えれば、岐阜公園のふもとから、この天守がある場所まで登るという事ですね。この高低差を岐阜公園にいる時から意識しておきましょう。
岐阜公園内でもうひとつチェックしておきたい遺構があります。それが織田信長の居館跡です。
現代人の私たちは、戦国大名は天守で生活していると思いがちですが、それは違うイメージなんです。
当時の城主は天守で寝泊まりしていたのではなく、日常の生活は居館で営んでいました。
ただ信長の場合、当時の記録から見ると、岐阜城や安土城時代は天守で生活していた様です。
また考古学者の千田嘉博氏は、信長の生活の場、つまりプライベート空間は金華山山頂の天守で、ふもとの館は使者との面会や公の儀式に使われていたと指摘しています。
ということでこの山麓も発掘調査が進んでいます。
発掘調査で地面を掘っていくと、いろんなことが分かるんですね。現在では居館跡の地形もハッキリとしてきました。
ところで居館というと、ひとつの家、または屋敷を想像しますが、織田信長の居館はそれだけではなかったことも判明しています。
これは現地案内にある、岐阜城の信長居館跡の復元CG(コンピューターグラフィックス)です。
これを見ると、渡り廊下で繋がれた複数の館のほか、庭園や瀧などもありますよね。
こちらはロープウェイから見た、織田信長居館跡。
今後、いろんなことが分かり、さらに整備が進むのでしょう。
ちなみに毎年秋に行われる岐阜信長まつりでは、この信長居館跡で古式火縄銃演武が披露されます。
それでは岐阜城天守がある、金華山の山頂へ登ってみましょう!
金華山山頂へ登る方法は2つあります。ひとつは有料のロープウェイを利用する方法。もうひとつは無料の登山道を利用する方法です。
では順番にチェックしてみましょう!
ロ−プウェイ
ロープウェイ乗り場は織田信長の居館の横にあります。
中にはお土産屋さんもありますが、お土産は帰りにチェックですね。
ちなみに料金は次の通りです。
大人(中学生以上) | 小人(4歳〜小学生) | |
---|---|---|
往復 |
1,080円 |
540円 |
片道 |
620円 |
280円 |
これは通常料金で、JAF会員だと会員証提示で100円割りがありますし、シルバーカード、おでかけバスカードの高齢者割引もあります。
徒歩
そしてもうひとつの方法が、かつての登山道で登る方法です。これは無料。
岐阜城(稲葉山城)は、戦国時代とその以前から、複数の山頂へ登る道がありました。
織田信長が稲葉山城を攻めた時や、関ヶ原合戦で東軍が攻めた時などは、こうした山道を甲冑を着て攻め登ったのでしょうね。
いろんな道があるのですが、めい想の小径(めいそうのこみち)という登山道が、初心者向けに設定されています。
初心者?ラクラクじゃん!と、思いますよね?
でもね、そこはやはり岐阜城の登山道なのですよ。
こ〜んな道が2Kmくらい続いています。
実は私は以前、このめい想の小径を使って山頂から降りた経験があります。
下りだから楽かな〜と思いきや、下りだとヒザに負担が来るんですよね。
あと足元はスニーカーなどの運動靴でシッカリ固めて登り降りすることをオススメします。
それでは金華山山頂の岐阜城の遺構をチェックしてみましょう!
まずは現地の案内にある、岐阜城の縄張り図を見てみると、ミジンコみたいに細長いことに気が付きます。
これは山頂の尾根部分に城があった事を示しており、曲輪も細長いものがほとんどです。
さらに頂上まで登る途中には、砦があった可能性がある場所がたくさんあります。
これを見ただけでも岐阜城の堅固さが分かりますよね。それでも何度も落城してるのですが…
それでは城内に入っていきます。
かつては山の中の城でしたが、今では公園として必要最小限の整備はされているので、観光気分で散策することもできるんです。
これは伝馬場跡。江戸時代の絵図や記録に馬場と記されている場所です。
現地まで行った事がある人は意外に思うかもしれませんが、ここまで馬で上がったの?とかなり疑問に思う場所です。
当時の馬は、現在のサラブレッドみたいにシャープな体形ではなく、木曽馬やポ二ーみたいにずんぐりむっくりしたものでした。
それでもあの登山道を馬で登れる??
これは豊臣秀吉の馬印・千成瓢箪発祥の地。
案内板によると、永禄十年(1567)8月14日、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は、蜂須賀小六正勝や堀尾茂助らと共に稲葉山城へ侵入。
小屋に火を放ち、城内を混乱させる手柄を立てました。
その時、敵を倒した槍の先に瓢箪(ひょうたん)を結んで勝鬨を挙げたという場所がここです。
それ以後、千成瓢箪発祥の地をいわれる様になりました。
これは岐阜城の題目塚(だいもくづか)。
岐阜城は築城以来、記録に残るだけでも6回落城しており、多くの城兵が亡くなりました。その供養の塚です。
華々しいだけが戦国ではありませんね。
そして岐阜城の井戸。
岐阜城がある金華山は、かつて一石山(いっせきざん)と呼ばれており、山全体が岩盤の塊で、できているんです。
なので湧き水が1滴もなく、飲料水の確保が非常に困難で、井戸は全て雨水や岩からしみ出る水を溜めた、溜め井戸でした。
調査の結果、合計4ヶ所の井戸が発見されていますが、全て溜め井戸。
飲み水に恵まれた城ではなかった様です。
本丸井戸の上を見てみると、戦国時代の石垣が残っています。
天守台の石垣は後世に積みなおしたものですが、この井戸の上の石垣は当時のものです。工法は自然石を加工せずに組み合わせた野面積み(のづらづみ)です。
それでは天守の中にも入ってみましょう!
岐阜城の天守は関ヶ原合戦後の慶長六年(1601)、岐阜城が廃城になると加納城(かのうじょう)に移され、江戸時代を通して天守が建てられることはありませんでした。
明治43年(1910)、木造で天守が再建されましたが、昭和18年(1943)に焼失し、昭和34年に現在の三階四層の天守が再び再建され、平成9年(1997)の大改修を経て現在に残ります。
城内は資料館になっており、それぞれのフロアで岐阜城の歴史や信長の事を学ぶ事ができます。
ちなみに天守は有料施設で、入場料は後ろにある資料館とセットで大人200円です。
最上階の4階は展望台になっており、ここから岐阜の街や名古屋、そして方角を変えれば関ヶ原方面まで見渡すことができるんです。
この眺めはまさに絶景!
ちなみに岐阜の南側、つまり愛知県名古屋市方面に向けては、濃尾平野という、とても広い平地が広がっています。
岐阜城の日本100名城のスタンプについて説明します。
岐阜城のスタンプは1ヶ所しかなく、その場所は天守後方の資料館の中です。
これですね。
ただひとつ注意する点があります。それは資料館は有料施設で、チケットは天守でしか買えないという事です。
天守の入場料が大人200円というのは説明しました。
しかしそれは資料館の入場料もセットになっているんです。
さらにそのチケットは天守の中でしか買う事ができないので、もし天守でチケットを買わずに資料館に行くと入る事ができません。また天守まで戻ってチケットを買う事になります。
少しヤヤコシイ感じもしますよね。
あとスタンプは、日本城郭協会の公式スタンプ帳に押さないと、認定証がもらえません。
100名城全てコンプリートうを目指している人は、是非、スタンプ帳は事前に購入しておきましょう。
普通に本屋さんでも販売していますし、無ければネット通販でも買えます。※楽天ブックスなら送料無料
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岐阜城の御朱印を販売している場所は、ロープウェ−乗り場がある館内の売店です。
乗り場の横にお土産を販売している売店がありますが、そこで1枚300円で販売しています。
岐阜城に行った時、おすすめのレストランがあります。それが展望レストラン・ポンシェルです。
なぜこのレストランがオススメなのかというと、岐阜城がある金華山から景色を眺めながら食事ができるからです。
メニューもスパゲティやカレー、そして定食などいろいろと揃えてあります。
軽食やドリンクもあるので、休憩がてらお茶するのも良いですね。
お目当ては、飛騨牛を329g使用した金華山ハンバーグ…のはずでしたが、1日限定3食ということですでに売り切れ。
1度は食べてみたいボリュームのハンバーグですね。
店内はカウンター席とテーブル席の2種類があります。
今回オーダーしたのは、信長どて丼。
どてとは、簡単にいうとホルモンを赤味噌で煮込んだもの。
ほんのり甘く、濃い味に仕上がっており、個人的には、ご飯との相性は非常に良いと思います。
岐阜の街を眺めながら食事ができるので、ちょっとしたプレミアム感がありますね。
ただし人気のレストランなので、土日祝日やGW(ゴールデンウィーク)、盆休みなどは早めに入店した方が待たずに食べる事ができると思います。
岐阜城の所要時間については2つに分けて考えてみましょう。それがふもとの岐阜公園と山頂の城内です。
まず、ふもとの岐阜公園ですが、今回紹介した史跡を全て周り、資料館を見て約1時間。
そして山頂の城内も天守と資料館がありますので、これら全て巡って約1時間くらいです。ということで岐阜城の所要時間を約2時間とします。
これ以外に食事や休憩なども入れるともう少し+αの時間が必要になってくるでしょう。
さて、私の岐阜城の感想ですが、この城は織田信長に興味がある人は必ず行っておきたい城だと思いました。
その理由は、まず100名城に指定されているだけあって遺構もシッカリ残っていますし、観光客の受け入れにも力をいれており、お土産などの種類も豊富です。
あと季節によっては夜間営業も行っているので、その時に訪れると金華山山頂から岐阜の街並みの夜景を見る事もできます。
あと毎年秋に行われる、ぎふ信長まつりは岐阜駅前でパレードもあるので、イベントの時を狙って行くのも良いですね。