岐阜県可児市にある明智城址は、戦国武将・明智光秀生誕地説がある城跡です。
明智光秀が生まれたといわれる場所はいくつかありますが、岐阜県可児市の光秀生誕地が、この明智城。別名・明智長山城。
日本100名城や続100名城という訳ではありませんが、有名武将の明智光秀生誕地説があるということで、令和二年(2020)年大河ドラマ・麒麟がくるでも話題になりました。
この記事ではそんな明智長山城の見どころを分かりやすくチェックしてみます。
可児市の明智城へのアクセスは車が便利です。
車での行き方ですが、明智城址駐車場へ直接行くのが良いと思います。
明智城の駐車場は、明智一族の菩提寺である可児市天龍寺の隣。
住所と地図を張っておくので参考にしてください。
ちなみに駐車場代は無料です。
岐阜県可児市瀬田1237-1
駐車場に車を停めたら、すぐとなりに明智城址への登城口があるので、ここを登って行きます。
入り口には明智城大手口((おおてぐち)という大きな石碑が建っているので分かりやすいと思います。
大手(おおて)とは、分かりやすく言うと城の表門のこと。家で例えると玄関のことです。
ちなみに裏口は搦手(からめて)といい、家で例えると勝手口(台所などにある裏口)みたいなものです。
大手口を登っていくと、大手門があります。門の種類は冠木門(かぶきもん)です。
このまままっすぐ道に沿って登ります。
徒歩約10分ほどで、明智城址二の丸に到着!
明智城址は現在、公園として整備されていますが、かつての城の遺構をいくつか見ることができます。
これが明智城址の縄張り図。二の丸にあります。
これを見ると、明智城址は山と谷を利用したVの字だった事が分かりますね。
縄張り図看板をチェックしたら、登ってきた大手道に少し戻ってみましょう。中の丸という曲輪があり、そこに石碑が建っています。
この中の丸からは大手道がぐるりと見える配置になっており、逆に言えば大手道から登る人を監視、攻撃できる配置になっています。
大手道から攻める場合、最初の難関ですね。
城内にある七ツ塚。
明智城は弘治二年(1556)、斎藤義龍に攻められて落城したのですが、その時戦死した明智城の7人の武将を葬った墓といわれています。
周辺には等間隔で土盛りが残っています。
二の丸を進んでいくと、観光パンフレット置き場がありました。
中には数種類のパンフがありました。これも合わせてチェック!ですね。
そして本丸。明智城の中心部です。現在は遺構のようなものは何も残っていません。石碑が建つのみ。
明智城址の石碑。
本丸の奥に進むと展望台がありました。
明智城は天守はありませんでしたが、戦国時代の城なので周辺を見渡せる物見台みたいな展望台はあったと思います。
この場所に物見台があったかどうかはわかりませんが、見晴らしは良いです。
明智城周辺の木は当時は無かったと思われますので、城下は一望できたと思います。
現在でも遠くまで見渡せますね。
明智城の西側を守る曲輪、西出丸跡です。現在はそのまま住宅地に繋がっています。
明智長山城の所要時間はゆっくり巡っても約1時間もあれば十分だと思います。
ただ私が最後に訪れた2019年11月は、工事で通行止めのところがあり、奥に行けなかったので本丸周辺の主要部分のみの見学。
それでこの時間です。
あと私の感想ですが、明智長山城は遺構はチラホラとしか残っていないので、ガッツリ城巡りしたい!という人が訪れると消化不十分みたいになると思います。
でもこの城は明智光秀生誕地のひとつなので、歴史の話題や城を語る時、訪れておくとネタになるので、チェックしておくことをオススメします。
またふもとにある天龍寺は、明智氏の菩提寺で光秀の大きな位牌もあるので、セットで訪れると満足度も増すでしょう。