明智光秀生誕地説がある岐阜県恵那市明智城址(白鷹城)アクセスから見どころ

明智光秀生誕地説がある岐阜県恵那市明智城址(白鷹城)アクセスから見どころ


岐阜県恵那市明智町にある明智城址は、戦国時代の明知遠山氏の居城で、明智光秀生誕地説が残る城です。別名・白鷹城(しらたかじょう)。岐阜県にはもうひとつ明智城(可児市)があるので、恵那市の明智城は明智白鷹城とも呼ばれています。

 

 

>>明智城址(恵那市)の歴史 | ウィキペディア

 

 

さて、そんな恵那市の明智城址ですが、私はほぼ毎年行ってるんですよ。なぜかというと、毎年5月に明智町で開催される光秀祭りに古式火縄銃演武で出陣しているので、少し早めに来て城巡りしたり、祭りの後に寄ったりしています。ではどんな見どころがあるのかをチェックしてみましょう!

 

 

 

アクセスと駐車場
 


まずは明智城の行き方を説明します。電車で行く場合は最寄り駅である、明知鉄道の明智駅を目指します。一例ですが名古屋駅からアクセスする場合、JR中央本線快速・中津川行きに乗り、恵那駅で明知鉄道に乗り換えます。そして明智駅を目指しましょう。

 

 

所要時間は約2時間20分。料金は1,860円です。

 

ここで注意したいのは明知鉄道の明智駅に向かうということ。なぜかというと、名鉄線にも明智駅があり、それに乗ると可児市に行ってしまうからです。

 

 

 


明智駅に着いたら、後は徒歩で明智城址に向かいます。徒歩で約20分もあれば付きます。

 

 

 


次に車での行き方ですが、恵那市の明智城址を訪れる場合、日本大正村の無料駐車場を利用できます。ここに止めれば歩いて明智城址に向かうことができます。

 

 

日本大正村の無料駐車場の住所

岐阜県恵那市明智町459−2

 

 

>>日本大正村の無料駐車場の地図

 

 

 

明智城の御城印
 


恵那市明智城址の御城印(御朱印)は、大正村観光案内所で販売しています。1枚300円です。スタッフが当日の日にちを記入してくれます。ちなみに同じ明智町にある、土岐明智城、仲深山砦の御城印もここで販売しています。

 

 

大正村観光案内所の住所

岐阜県恵那市明智町457

 

 

>>大正村観光案内所の地図

 

 

 

光秀の学問所
 


それでは恵那市・明智城址を散策してみます。場所的には、2020年に大河ドラマ館となった大正ロマン館の裏山です。入り口に看板があり、そこに縄張り図が載っています。

 

 

 


地元に伝わる明智光秀の学問所があった場所。伝承によると光秀がまだ恵那にいた頃、ここでいろんな事を学んでいたそうです。現在では神社になっています。もしここが伝承通りなら、光秀の他に複数の子どもたちも学んでいたのでしょう。内容は兵法や築城術、戦術など?この場所だけでも想像が膨らみますね。

 

 

 

自然濾過システムの池
 


これは貯水池。白鷹城は城内に井戸が無く、搦手(からめて)のこの場所に貯水池がありました。でもよく見ると、同じ様な大きさの池が2つ並んでいる?

 

 

実はこれ、単に雨水を溜めるのではなく、約1km離れた場所から丸木樋(木製の管)でこの場所まで水を引いていたのです。でも更に驚くべきは、当時すでに水の浄化システムがあった事。

 

 

 


これは現地の案内看板にある図。まず2つの池を作ります。底に砂、小砂、木炭、小石などを敷き詰めた(1)の池に水を流して濾過します。そして隣の(2)の池にきれいな水を流して貯めるという仕組みです。

 

 

 


これも現地看板にあったイメージ図。これでもそのまま飲むことはできないと思いますが、後は煮沸(しゃふつ)させれば飲めるようになるのでしょう。私も数多くの城を巡っていますが、この浄化システムの井戸(貯水池)を見たのは初めてです。

 

 

 

石垣と柱石
 


さて、こちらは城門の石垣跡。しっかりした石垣は残っていないものの、城内にはチラホラあります。どんな石垣があったのか、ここでも想像が膨らみます。白鷹城は基本、土の城なのですが、城内の要所には石垣があったのでしょう。

 

 

 


こちらは陣屋があった時代の建物の柱があった礎石。この角度に建物があったのではなく、この石自体、傾いているのでしょう。

 

 

 

虎口と曲輪


城内に残る虎口(こぐち)。虎口とは曲輪の出入り口のことで、攻めにくく守りやすい工夫が施されています。具体的にいうと、この虎口はワザと折り曲げられており、その先に門などがあったのでしょう。門を壊している時に上や側面から攻撃を受けるという、攻め手には厳しい作りになっています。

 

 

 


そして虎口の先にある本丸。人工的な削平地になっています。籠城戦になると、一般的にはここに城内の重要人物(城主など)が籠もって指揮を執ります。

 

 

 


近くにある腰曲輪(こしぐるわ)。城や場所によっては帯曲輪などとも。腰曲輪とは、基本的になにかの曲輪に付属した細長い部屋(スペース)のこと。追加することによって、メインの曲輪を守ることもできますし、ここに兵を置くこともできますね。

 

 

 

猿戻しという切岸と竪堀


そして曲輪の側面を見てみると、猿戻しという遺構があります。一般的には切岸(きりぎし)といって、斜面を人工的に削ってさらに登りにくくした遺構です。

 

 

 

 

これは下から見た図。城として使われていた時代から、数百年経っているので土砂も流れてなだらかになっているのでしょうけれど、今でもこれだけの急斜面です。ここで大事なのは、ジーパンでこれを登るのではなく、甲冑で登るとどれだけしんどいかという事。

 

 

もちろんその先(上)の曲輪には、守備兵が待ち構えていますから、登りきって更に戦うという、足軽さん達の苦労も想像できます。今では実際に登ったりはしませんが、想像するだけでも当時の様子が分かりますね。

 

 

 


こちらは竪堀(たてぼり)。山の斜面を上から下に通る溝のこと。もしこの溝(竪堀)の中を通って攻め上がると悲惨ですよ。なぜかというと石でも落とされれば、攻める敵はドミノ倒しみたいに倒れていきます。では通らなければいいじゃん♪と思い、溝の上に登ると歩きにくいし守備兵の格好の的になるからです。
シンプルですが効果的な防御の工夫ですね。

 

 

 

堀切


これは堀切(ほりきり)。堀切とは一般的には、山の尾根を遮断して敵の侵入を阻む堀の事なのですが、白鷹城の場合は大手道から通る通路として利用されていました。でも敵がココを通るとなると、単なる通路ではなくなるのです。

 

 

 


これは現地看板にあった香川元太郎氏のイラスト。通る敵は常に上から攻撃されながら通らなければならないという、かなり危険な道になっています。これも防御の工夫ですね。

 

 

 

所要時間と私の感想


白鷹城の所要時間はサクッと巡って約1時間くらいですが、できれば2時間くらい確保してじっくりと隅々まで見ておきたい山城だと思います。そして私の感想ですが、白鷹城は長年城巡りをしている人も、最近城巡りをし始めた人にもオススメの山城だと思います。その理由は遺構が分かりやすいし、巡りやすいからです。

 

 

また令和元年(2019)に看板も新設されたので、城内の遺構や縄張り図がよく分かります。あと順路みたいに散策路もできているので、それに沿って巡ればスムーズに楽しむことができるのではと思います。大正村、そして明智光秀の菩提寺である龍護寺とセットで楽しむと1日明智町で過ごすことができるでしょう。