織田信長が家康をもてなした饗応膳が安土信長のやかたに再現してある!

織田信長が家康をもてなした饗応膳が安土信長のやかたに再現してある!

近江八幡市のあづち信長のやかた
天正十年(1582)、甲斐・信濃の戦国大名だった武田氏を滅ぼした織田信長は、共に出陣した徳川家康をねぎらうために安土に招待しました。その時の饗応膳が安土信長のやかたに再現してあります。

 

 

 

あづち信長のやかたにある家康饗応膳
これがその家康饗応膳。レプリカですが本物の食事みたいに再現してあります。

 

 

 

家康饗応膳の説明

信長が家康の武勲を讃えた『本膳料理』

 

天正十年 安土御献立 信長の家康饗応膳

 

織田信長が徳川家康をもてなした豪華な『本膳料理』として歴史に記されているのが『天正十年 安土御献立』です。武田氏征伐の武勲を祝すための饗宴で、安土城に招いた家康を天正十年(1582)5月15日、16日の両日にわたり、総計実に百二十品にも及ぶ料理で歓待しています。

 

具体的には到着後、間もなく出されたおちつき膳、鰻の丸焼き、鴨汁、鮎の酢、数の子、海老の舟盛り、雲雀(ひばり)の丸焼き、滋賀のふなずしなど全国各地から集めた至高の食材が用いられています。

 

ただしなぜか『弐の膳』の式三献は行われていません。ちなみに、この時、接待役を任されていた明智光秀は信長から『支度が行き過ぎである』と叱咤され、役を降ろされて豊臣秀吉(正確には当時、羽柴秀吉)の援軍に、回されました。この時の遺恨が後の本能寺の変の動機になったとも言われています。

 

 

 

おちつき膳
 

おちつき膳
徳川家康一行が安土に着いた時、間もなく出された献立がこれ。かなり豪華ですね。ちなみに戦国時代の成人は1日に5合の米を食べていたという説もありますが、これはかなりの量があり本膳に近いのでは?と思います。

 

 

 

こちらが夕食
 

安土で徳川家康がもてなされた5月15日の晩御膳
徳川家康一行が安土に到着した天正十年(1582)五月十五日の夕食に出されたのがこれ。信長のやかたでは一品ずつ解説しているのですけれど、全国各地から取り寄せた名品、珍味が膳に乗ってました。

 

今では物流も整備されて通販で全国各地の名産品を取り寄せることは簡単ですが、まだ乱世だった天正十年(1582)で各地の名産品を集めるのは信長の力の誇示でもあったのでしょう。

 

 

 

私の感想
 

あづち信長のやかたにある家康饗応膳
私のあづち信長のやかたの徳川家康饗応膳の感想ですが、これは是非、戦国好きの方や料理に詳しい調理師の方にはチェックしてほしいものだと思いました。

 

その理由は、今では会席料理でも考えられないくらい豪華なものだからです。実際に再現するとなると、1人前あたり値段はいくらくらいするのだろう?と妄想の時間。

 

復元された安土城天主と共に楽しめると思います。