安土城跡を観光で巡る時知っておきたい見どころやアクセス、料金、駐車場など

安土城跡を観光で巡る時知っておきたい見どころやアクセス、料金、駐車場など


かつての近江国である、滋賀県近江八幡市安土町の安土城跡は、織田信長が築城した生涯最後の城です。

 

 

私も何度も行った事がある安土城ですが、やはり信長の聖地ということで信長ファンはもちろん、戦国ファンも一度はチェックしておきたい城址だと思います。そこで初めて安土城に行く人に解説するつもりで、アクセスや駐車場、そして料金はモチロン、安土城内の見どころはポイントなどをチェックしてみたいと思います。

 

 

 

電車アクセスと駐車場


まずは電車での行き方を説明します。電車を使って安土城にアクセスする場合、安土城最寄り駅のJR安土駅を目指しましょう。

 

 

ここで覚えておきたいのが、安土駅は普通電車しか停まらないという事。特急電車や新幹線を使う場合は、降りた駅から普通電車に乗り換えてJR安土駅まで移動する事になります。主要な駅からの行き方は次のサイトでまとめてあります。

 

 

>>安土城への各種アクセスまとめ

 

 

 

 

 


次に車での行き方のついて。車で行く場合は、安土城跡の駐車場のナビで検索して行くと良いでしょう。もしロードマップで行く場合は、安土城の駐車場の住所から検索すると分かりやすいと思います。

 

 

 

駐車場の住所

近江八幡市安土町下豊浦

 

 

>>駐車場の地図

 

 

そして駐車場ですが、安土城には無料駐車場が完備されていますので、ここに車を停めて入城口まで歩いていきます。

 

 

 

 

100名城スタンプ


安土城は日本城郭協会の日本100名城51番の城に指定されています。そこで100名城スタンプですが、次の3カ所にあります。

 

  • 安土城料金所
  • 安土城信長の館
  • 駅前の安土城郭資料館

 

あと100名城のスタンプ台帳ですが、これは普通に本屋さんに売っています。まずはあなたの家の近所の本屋さんで探してみてください。もし無かったらインターネット通販でも購入することができます。(楽天ブックスなら送料が無料)

 

 

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入場料金


安土城跡の入場料について。安土城跡は有料施設で入場料は必要です。

 

 

入場料の種類は次の通り。

 

安土城+ハ見寺 1,200円

 

(安土城のみ)

  • 大人 700円
  • 小人 200円
  • 幼児 無料

 

ハ見寺というのは城内にある織田信長の菩提寺です。ハ見寺は寺内の拝観のほか、茶室で抹茶とお菓子を頂くことができます。

 

 

 

 

 

ハ見寺


ハ見寺(そうけんじ)は安土城内にある織田信長の菩提寺です。また臨済宗妙心寺派の寺院。山号は遠景山。戦国時代の安土城内にもハ見寺はありましたが、ここではなくもっと山頂付近でした。

 

 

 

現在、ハ見寺がある場所は、かつての徳川家康の屋敷があったといわれる場所、つまり傳徳川家康邸跡で、ここに現在のハ見寺があります。このハ見寺は入場料とは別料金なのですが、せっかく安土城に来たのであれば、ここもチェックしておくことをオススメします。

 

 

 


お寺の方の話によると、現在の建物は明治維新後、京都の御所の建物の一部をこの地に移築したものだとか。中はいくつかの部屋に分かれており、撮影禁止の本堂には織田信長の像がありました。

 

 

 


ハ見寺の奥には茶室があって、ここで抹茶を頂くことができます。(入場料に含まれています)また茶室からは庭園が見えて、ちょっとした休憩時間ですね。まだ安土城きたばかりですけど…

 

 

 


順路を奥に進むと、ちょっとした展示室があり、そこでは安土城天主跡から出土した金箔瓦を拝観できます。

 

 

 

 

 

安土城内をゆく


それでは安土城内のレビューです。料金所で入場料(入山料)を払うとイキナリまっすぐな大手道で、ココを上に登っていきます。普通、城内の道は屈折が多いように思われますが、安土城の大手道は意外にも最初まっすぐなんですね。この理由は天皇の行幸のためともいわれています。つまり信長は安土城内に天皇を招こうとしていたそうです。

 

 

 


大手道の横を見てみると…なんと石仏があります!!これらの石仏は大手道の石材として使われていたもので、発掘当時の状態で今も展示してあります。なぜ大手道の石に石仏が使われているのか?これにはいろんな説があるんです。

 

 

まず無神論者だった信長が通行人に踏みつけさせるために埋め込んだという説。また無事に築城できる様、人柱の代わりに石仏を埋め込んだという説。あるいは別に神仏を意識しておらず、純粋に石材として使った説など。いろんな説が唱えられていますが、ハッキリとしたことは分かっていません。

 

 

ただ石仏や墓石を城の石材として使っていたのはなにも信長だけではなく、大和郡山城の石垣の中にはお地蔵さんが逆さまに組み込まれた、さかさ地蔵がありますし、姫路城の石垣には古墳の棺が組み込まれています。

 

 

 


またこれは別の場所の石垣の中から出土した仏足石。お釈迦様の足をかたどった石で、室町時代中期のものです。この様なものも安土城の石垣の中には組み込まれていたのです。もしかすると現在に残る石垣の中にも、まだ何か組み込まれているかもしれませんね。

 

 

 


安土城大手道を登っていくと、左右に武将の邸宅跡と伝わる屋敷跡があります。これは一番見事な石垣が残る傳(伝)羽柴秀吉邸跡。

 

 

 


現地にはこの様な復元図があり、これがかつての姿だとか。ちなみに秀吉邸だけではなく、お向かいに前田利家邸、そして現在ハ見寺になっている場所が徳川家康邸と伝わります。ただ、この安土城内の武将らの邸宅跡は確証はなく、他の重臣の館跡、または館跡ではない別の施設だった可能性も指摘されています。

 

 

 


上に登るほど重臣、一門衆(一族)の屋敷といわれる場所があります。写真は織田(津田)信澄邸跡。信長の弟で2度の謀反を起こした信勝(信行)の嫡男です。彼は信長の厚遇されましたが、明智光秀の娘を嫁にしていたために、本能寺の変後、光秀の共謀者と疑われ成敗されてしまいました。

 

 

ちなみにこの向かい側には森蘭丸の屋敷跡があります。

 

 

 

 

 


安土城の黒鉄(くろがね)門跡。ここから先が二の丸、本丸、そして天主跡といった、安土城の中核がある場所です。その入り口を守る門ですね。現在でも石垣で作られた桝形虎口(ますがたこぐち)の様子がハッキリと分かります。

 

 

 


また城内には自然石をほとんど加工せずにパズルみたいに組み合わせる技法・野面積み(のづらづみ)の石垣を見ることができます。安土城の石垣造営は、全て同じというわけではなく、場所によって微妙に違います。

 

 

また安土城がある近江国(現在の滋賀県)に存在していた石垣の組みの専門集団・穴太衆(あのうしゅう)が、安土城の石垣構築に携わっていたといわれていますが、それはどうも違うみたい。近年城郭研究家の中井均氏は、著書・近江の城で、安土城の石垣構築に穴太衆は携わっていなかったのではないか?という事を指摘しています。

 

 

 


こちらは二の丸。信長の廟所があります。本能寺の変で亡くなった信長の遺体は、まったく見つからず、信長の葬儀も木像を使って行われました。この廟所は羽柴秀吉が信長の一周忌に造営したものです。

 

 

 


また近くには信長の二男・織田信雄一族の墓も残ります。

 

 

 


そして安土城本丸跡。ここはなんと天皇が宿泊する御殿があった場所といわれています。織田信長は安土城への天皇行幸(てんのうぎょうこう:天皇が外出すること)を考えており、その時に滞在するための屋敷をこの本丸に作っていました。現に発掘調査の結果、御殿らしき建物の礎石が出土しており、叶いはしませんでしたが、ここに天皇をお迎えする施設があったことが分かります。

 

 

でも?『城の本丸に天皇を迎え入れる御殿があったなら、信長もここに住んだの?』と、思われがちですよね?

 

 

違うんです!

 

 

なんと信長の館というか住まいは本丸ではなく、本丸のさらに上にある天主(天守)だったのです!

 

 

 

これが安土城天主(天守)跡


それがこちら!安土城の天主(天守)跡です。

 

 

 


現在、天主跡には、礎石が残るのみで広い空間が広がっています。しかしここにあの天守があったんですね。

 

 

 


現地の案内板より。これを見ると不等辺八角形の建物があったことが分かります。実際にここには地上六階、地下一階の建造物が存在していたことが判明しており、その地下の部分が現在礎石がある場所です。安土城天主は完成から約3年後の天正十年(1582)6月に焼失してしまいますが、その3年間、ココには日本中どこを探しても無い様な、まさに天下人の城の天主があったのですね。

 

 

 

 

 


天主跡から西へ進むと、かつてのハ見寺(そうけんじ)跡です。

 

 

ハ見寺は安土城が築城された時、織田信長によって城郭内に建立された寺です。開山は織田一族の岩倉城主・織田信安の三男で禅僧の剛可正仲とされているが、実際の創建時の住職は別の人と伝わります。

 

 

江戸時代後期の安政元年(1854年)に出火で本堂や主要な建物のほとんどが消失してしまい、その後、徳川家康邸跡と伝えられる場所に仮本堂を建てた。これが現在のハ見寺です。現在ではかなり山裾に近い場所にあるハ見寺ですが、戦国時代にはこの山頂付近にあったのですね。

 

 

 


近江名所絵図に出てくる安土城ハ見寺の絵図。これを見るとかつては、かなり大掛かりな寺院だったことが分かります。

 

 

 


ハ見寺跡から見える景色。ぽっかりと見える湖は西の湖で、かつては安土城のふもとまで湖が迫っていました。真ん中に集落が見えますね。

 

 

 

安土城の重要文化財


天主跡とハ見寺跡を見学したら、下山方向に進みます。するとココでも見どころポイントが2つあるのです。それが重要文化財。まずはハ見寺三重の塔。この三重の塔は安土築城時に信長が甲賀郡から移築したものと伝わります。

 

 

 


そしてこちらの仁王門も重要文化財。現地案内看板によると、この仁王門は元亀二年(1571)に建立されたものですが、信長が安土城の築城に着手した時、天正四年(1576)にこれも甲賀郡から移築した事が分かっています。

 

 

また仁王門ということで、2体の仁王様が門の中にいますが、この仁王像は応仁元年(1467)作という事も分かっており、こちららも重要文化財に指定されています。これらの三重塔、仁王門は、本能寺の変後に安土城が火災になった時、燃えずに残っていたということで、現在でも非常に貴重な歴史的遺構といえるでしょう。

 

 

 

安土城の所要時間と私の感想


安土城跡の所要時間と私の感想、そしてアドバイスについて。まず安土城跡の所要時間ですが、ゆっくり周って約2時間、急いで周って約1時間くらいだと思います。もちろん、それ以上ジックリと時間をかけることもできますよ。例えば石垣の写真を撮っているだけで、安土城は時間が経ってしまう城址なので、半日かけて巡る人もいます。

 

 

そして私の感想ですが、信長ファンはもちろん、戦国時代が好きな人は必ず訪れていた方が良い城だと思いました。なぜかというと、残る遺構、そして何より信長の最高傑作の城という事です。また近くの資料館、博物館をセットにすれば、食事も含めて安土城だけで1日過ごすことが可能です。100名城のスタンプラリーだけではモッタイナイ城ですよ!

 

 

 


あと私の体験談ですが、安土城跡に登る時の注意事項をいくつか紹介しますね。まずはトイレ。安土城跡にはトイレがありませので、入城する前にふもとのトイレを使っておくと良いでしょう。

 

 

あと安土城跡は普通に木々が茂っているので、夏は虫もいます。またアスファルト舗装ではなく、石段をはじめ足場が悪い場所もあるので、スニーカーなど運動靴で登るようにしてください。

 

 

私が見た事例ですが、日本城郭協会の100名城ということで、完璧な観光地をイメージしてか、ハイヒールにキャミソールのお姉さんが途中まで登り、バテていたことがありました。その後、虫を見るたびに叫んでいましたが、100名城=快適な観光地というワケではないので注意しましょう。

 

 

 

セットにしたい博物館と資料館


安土城跡と同じ安土町内にあって、セットで巡りたい博物館と資料館をお伝えします。まずは安土城天主 信長の館。ここには復元された原寸大の安土城天主と戦国時代、最初で最後の安土城ライトアップイベントをCGで紹介した、VR安土城シアターがあります。

 

 

他にもここでしか買えないような戦国グッズや天正十年(1582)に徳川家康を安土城に接待した時の饗応膳も復元してあり、戦国ファンは楽しめるスポットです。

 

 

>>安土城天主信長の館公式サイト

 

 

 


次にチェックしておきたいのは、安土城天主信長の館に隣接している、滋賀県立安土城考古博物館

 

 

ここは戦国時代を含む、滋賀県の長い時代の博物館なのですが、第二常設展示室は戦国時代に特化した展示になっており、写真撮影も可能です。安土城の事はもちろん、その他の近江の城、そして戦国時代を分かりやすく解説展示してあります。

 

 

>>滋賀県立安土城考古博物館公式サイト

 

 

 


ここは安土駅前にある、安土町城郭資料館。ココには安土城の内部がよく分かる模型や甲冑試着体験。そして戦国グッズも販売しています。また100名城スタンプはココにも設置してあるので、電車で訪れた時はここから訪れてみるのも良いですね。

 

 

>>安土町城郭資料館公式サイト