復元された櫓や藤堂高虎の豪快な石垣が残る三重県津市の伊勢津城跡

復元された櫓や藤堂高虎の豪快な石垣が残る三重県津市の伊勢津城跡

 

 

かつての伊勢国である、三重県津市の津城は復元された櫓や藤堂高虎の豪快な石垣が残る城址です。

 

 

>津城の詳しい歴史 | ウィキペディア

 

 

2017年(平成30年)には、日本続100名城にも指定された津城。現在は公園になっています。この記事ではそんな津城の見どころをチェックしてみましょう!

 

 

 

 

 

 

 

もくじ

 

 

 

 

 

津城へのアクセス

津城の行き方を電車編、車編で説明します。

 

 

まずは電車でのアクセス方法ですが、私がいつも利用しているのは近鉄(JR)津駅からバスでのアクセスです。

 

 

津駅に着いたら1番もしくは2番バス乗り場からバスに乗り、三重会館前バス停で降り、徒歩5分くらいで津城跡のお城公園い着きます。バスの所要時間は10分くらいです。

 

 

次に車でのアクセスについて。

 

 

車でアクセスする際は、カーナビで津城 もしくは津市役所と入力します。

 

 

なぜ市役所なのかというと、津市役所の隣りの大きな公園が津城跡の本丸なので、津市役所付近まで行けばなんとかなるでしょう。

 

 

 

 

 


次に駐車場について。

 

 

駐車場は隣接する津市営お城東駐車場を利用すると便利です。

 

 

●開場時間

 

午前7時〜午後10時

 

 

●駐車料金

 

30分まで100円 

 

(30分超〜15時間まで30分50円)

 

※1営業日あたりの上限は1,000円

 

 

 

 

 

津城の続100名城スタンプの場所


津城は日本城郭協会の続100名城に指定されています。続100名城のスタンプがある場所は、城内にある高山(こうざん)神社の社務所です。

 

 

※高山神社の読みは こうざんじんじゃ

 

 

ただし社務所が開いている時間は午前9時〜午後4時なので、この間にスタンプを押しましょう。

 

 

スタンプ帳は普通に本屋でも販売していますが、もし無ければネット通販でも購入できます。(楽天なら送料無料)

 

 

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縄張り図をチェック!


それでは津城を巡る前に縄張り図をチェックしてみましょう。これは津なぎさまちの旅客船ターミナルにある津城の縄張り図です。

 

 

これを見ると、現在の津城があるお城公園は、かつての津城のほんの一部だという事が分かりますね。

 

 

また周辺には城下町の名残があり、伊勢街道も通っています。あとこの縄張り図には記載がありませんが、北に延びる伊賀街道もあり、交通の要所だという事がわかりますね。

 

 

 

 

 

 

見どころと謎が多い石垣


津城の見どころは、なんといっても藤堂高虎が手掛けた豪快な石垣です。伊賀上野城みたいに高石垣はありませんが、城内のいろんな場所でいろんな石垣を目にすることができます。

 

 

 

 

 


これは石垣の矢穴(やあな)。石を割る時にこの矢穴をあけ、楔(くさび)を打ち込んで石を割ります。

 

 

矢穴がハッキリ残っているという事は、この石は割られずにそのまま石垣の石に用いられたのでしょう。

 

 

石垣を見る度に思うのですが、まだ現代みたいに電動の工作機械がなかった江戸時代に、これだけの石の加工ができたことは、かなりの手間暇がかかったのでしょうね。

 

 

 

 

 


津城の本丸北側には多門(多聞)櫓がありました。多聞櫓とは簡単にいうと、長い石垣の上に建てられた長屋状の建物(櫓)です。

 

 

津城の多聞櫓は残っていませんが、多聞櫓があった長い石垣が北側に長く残っています。

 

 

 

 

 


天守台の東に石垣の大きな切れ目があります、これは埋門(うずみもん)があった場所です。

 

 

今では普通に公園の出り口になっていますが、藤堂高虎が入城する以前の織田信包、富田信広が城主だった時代には、局丸(つぼねまる:曲輪)へ通じる門があったといわれています。

 

 

 

 

 


津城の石垣の根元の部分をよく見てみると、2人ほど並んで歩く事ができるスぺースがある事に気が付きます。これは犬走(いぬばしり)という遺構です。

 

 

犬走とは、石垣の安定のため、または城が攻められた時の防御に用いる空間といわれています。

 

 

 

 

 


高山神社の裏側にある石垣をよく見てみると、補修の址がありますが、補修のラインわかりますか?

 

 

 

 

 


↑正解はこちら。点線の右と左では石垣の積み方も違う事が分かりますね。これは補修、もしくは左右の石垣を積んだ時期や施工者が違うという事です。

 

 

城というと頑丈な石垣があって、ずっと昔からそのままで残っていると思われがちですが、江戸時代も存続した城は、石垣の補修が行われている場合がほとんどです。

 

 

例えば国宝の姫路城や彦根城、そして有名な大阪城や名古屋城も同じ。

 

 

築城されてからずっとそのままではなく、時代の節々で石垣をはじめ建物の補修も行われ続けていました。

 

 

 

 

 


↑そして謎の石垣がこちら。高山神社の東側にある児童公園にあります。

 

 

よく見ると石垣の隅の部分が埋もれており、そのすぐ右に石垣が築かれているんです。算木積み、分かりますかね?

 

 

これは補修というよりも、もともとここで石垣が終わっていたのに、後に石垣を追加した様に思えます。

 

 

なぜこの様な石垣を作ったのかは分かりません。謎です。

 

 

 

 

 


↑さらに天守台の石垣。こちらには先ほどの堀の犬走みたいなスぺースがあります。

 

 

天守に登るためのスぺースなのか?もしくはズレた(笑)。

 

 

 

 

 

 

櫓に高虎像、津城の見どころ


それでは津城に行った時、石垣以外にこれだけはチェックしておきたいポイントを5つ紹介します。まずは丑寅(うしとら)櫓。現在の津城のシンボルみたいなものです。

 

 

この丑寅櫓は昭和三十三年(1958)に復元されたものです。

 

 

気になる丑寅の開館時間と休館日ですが、津城の丑寅櫓は基本、内部公開されていないので中に入る事はできません。つまり現在では津城の飾りみたいな建物です。

 

 

 

 

 


公園内にある藤堂高虎の銅像。

 

 

高虎は生涯で7回も主君を変えました。つまり8人の主君に仕えた武将なんです。

 

 

それにより評価が人によって異なりますが、私の感想はうまく戦国の世を乗り切った有能な人物だと思います。特に羽柴(豊臣)〜徳川への転身あたりは、絶妙の機転というか決断でもあったと思います。

 

 

 

 

 


文政年間(1818〜31)に二の丸に建てられた藩校・有造館の門。

 

 

校舎は明治になり、師範学校や津中学校として使用されましたが、朱塗りの入徳門はその後、他所に移された後に現在の西の丸跡に移築保存されています。

 

 

 

 

 


入徳門のすぐ近くにある日本庭園。

 

 

 

 

 


西の丸の虎口(こぐち)。

 

 

虎口とは、簡単にいうと曲輪の出入り口の事。攻めにくく守りやすい工夫になっています。

 

 

津城の虎口も折れ曲がっており、門などがあって、門を破ろうとしている間に側面から攻撃されてしまう工夫が分かりますね。

 

 

 

 

 

 

所要時間と私の感想

津城の所要時間ですが、私のが何度か巡ってみた体験による感想は、ざっと巡って1時間。ジックリ巡って約2時間くらいだと思います。

 

 

メインはお城公園になるので、公園内そして外周をぐるりと巡ると、ちょうどこのくらいですね。

 

 

あと津城の感想ですが、石垣好きの人には特にオススメの城だと思いました。

 

 

その理由は、城内のいろんなところにいろんな石垣を見る事ができるからです。

 

 

もちろんすべてが築城の名手といわれた藤堂高虎時代のものではありませんが、工法や矢穴跡など見るべきポイントは多いです。あと補修跡や追加で作られたみたいな石垣もチェックしておいてくださいね。

 

 

個人的には丑寅櫓の中に登れるともっと楽しさも増えると思います。

 

 

あと津市では桜の名所としても知られているので、4月上旬くらいに訪れると桜との写真も撮れますね。