三重県桑名市長島町の伊勢長島城跡は、戦国時代に長島一向一揆で一揆方の拠点となった城跡です。
寛元三年(1245)、藤原道家が築いた居館が長島城の始まりといわれ、戦国時代には伊藤重晴によって城として整備されます。
元亀元年(1570)には近くにあった一向宗・願証寺の住職・証意によって伊藤氏一族が追放され、それ以後は長島一向一揆の拠点となりました。
結局は織田信長に攻略され、それ以後の江戸時代にも長島藩の藩庁となり、明治を迎え廃城になりました。
私が初めて長島城を知ったのは、原哲夫さんの漫画・影武者徳川家康でした。
その作品では長島砦として出てくるのですが、隣の愛知県に住んでいたので、いつかは行ってみたい戦国スポットのひとつでもあったのです。
そして今回、やっと行くことができました!
この記事ではそんな長島城跡の見どころをチェックしてみたいと思います。
伊勢長島城跡への行き方ですが、現在では桑名市立長島中部小学校と桑名市立長島中学校の敷地になっています。
つまりこの2つの学校を目指して行けば、長島城跡に着きます。
電車でのアクセス方法は、最寄り駅のJR関西本線・長島駅、または近鉄本線の長島駅から徒歩約20分くらい。
車でアクセスする場合は、2つの学校を目指して行ってみましょう。
■長島城跡の場所の住所■
三重県桑名市長島町西外面2188
現地案内看板にある長島城の城絵図。江戸時代のものですね。これを見ると上が西で下が東になっています。
東に流れる川を天然の堀とし、その水を長島城の南、西、北に流して防御を固めているのが分かります。
現在では残っているのは東側の堀、つまり長島川のみです。
これがその長島川。かつて長島城の東側を守っていた天然の堀です。
大手橋の一部に長島城の石垣といわれるものが残っています。
この石垣全てではなく、隅石を含む一部の石が古い石でした。
桑名市立長島中部小学校のグラウンド隅にある黒松。実はこれ、樹齢三百数十年といわれる黒松で、江戸時代の長島城時代からここにある黒松なのです。
伊勢台風にも耐え、現在では桑名市指定天然記念物になっています。
長島城跡の周辺を散策していると、道しるべの様な石碑を発見しました。
当時もココにあったのか、どこからか移転されたものかはわかりませんが、城や陣屋は当時の主要な街道の近くにありましたので、これも関連史跡ですね。
長島町又木にある蓮生寺(れんしょうじ)の山門は、かつての長島城の大手門といわれています。
長島城が廃城となった後の明治九年(1876)、蓮生寺が長島城大手門の払い下げを受けて、山門にしました。
もともとあった大手門の規模を縮小しての移築でしたが、瓦に増山氏の家紋がそのまま残されており、現在では貴重な長島城の遺構になっています。
これは山門の内部。すべての部材が古いというワケではなく、一部は新しいものだと思いますが、時代の流れによって改修され現在に残っているのは貴重ですね。
■蓮生寺の場所の「住所■
三重県桑名市長島町又木66
長島城の所要時間について。
まず長島城だけですと約20分。その後蓮生寺への移動時間と見学を含めて約20分。合計約40分もあれば長島城と蓮生寺を見学できると思います。
そして私の感想ですが、長島城は遺構は少しだけしか残っていませんが、歴史的に有名な場所なので、戦国ファンは要チェックの城跡だと思いました。
その理由は、織田信長による3度の長島一向一揆攻めの舞台となった城跡だからです。
一向一揆側だけでも約2万人の方が亡くなったという戦だけに、戦国時代でも屈指の戦場になった場所でもありますね。
あと所要時間的には1時間も必要ないので、近くにある桑名城とセットで訪れるのも良いと思います。