三重県鳥羽市の伊瀬鳥羽城跡は、熊野九鬼水軍の将・九鬼嘉隆が築いた水軍の城です。
戦国時代、全国に水軍はいましたが、その中でも織田信長の家臣で鉄甲船を作った九鬼嘉隆はひときわ有名な水軍の将です。
その九鬼嘉隆が本拠にしたのが鳥羽城。では水軍の城とはどんな城だったのか?見どころをチェックしてみましょう!
まずは電車でのアクセス方法を説明します。電車で行く場合は鳥羽城最寄り駅の近鉄鳥羽駅、もしくは中之郷駅(なかのごうえき)を目指します。
鳥羽駅からの所要時間は徒歩10分ほど。中之郷駅だと5分くらいです。
次に車での行き方ですが、車で行く場合は、まずはカーナビの検索で鳥羽城と入力してみましょう。
それで出てこなければ、鳥羽市役所と入力します。なぜ鳥羽市役所なのかという理由ですが、鳥羽市役所の裏山が鳥羽城址なので、市役所まで行けば何とかなるからです。
またロードマップで行く場合は、鳥羽市役所の住所をチェックしてみましょう。
鳥羽市鳥羽3丁目1-1
次に駐車場についてですが、鳥羽城跡にはお城の専用駐車場というものがありません。
しかし鳥羽市役所に問い合わせてみると、鳥羽城跡を観光目的で訪れる場合については、鳥羽市役所の駐車場を利用することも可能とのことでした。
その市役所駐車場はいくつかあるのですが、私的が何度か行ってみた体験ですが、家老屋敷跡横の駐車場が便利だと思います。
鳥羽城には城の御朱印があります。この御朱印は寺社の御朱印とは違い、あらかじめ書いてあるものを購入します。
鳥羽城の御朱印が販売されている場所は、鳥羽市歴史文化ガイドセンターの窓口です。
また伊賀・亀山・津・松阪・鳥羽の城郭巡りスタンプもこの中にあります。
鳥羽市鳥羽1丁目10-48
ちなみに鳥羽ガイドセンターの2階には、九鬼嘉隆水軍展があるので、ココもまとめてチェックしておきましょう。
では鳥羽城周辺の見どころをチェックしてみましょう。まずは古城図。これを見ると南〜西以外、海にや川に囲まれているのがよく分かりますね。
こちらは現代の鳥羽城跡案内図。城域の区画線を見ると、現在の鳥羽水族館や国道42号線、そして鳥羽市役所も鳥羽城の中だった事が分かります。
では周辺もチェックしてみましょう。
伊勢鳥羽城跡を巡る時、最初にチェックしておきたいのが三ノ丸広場の看板と無料パンフレット。
これを見ながら城内を散策しましょう。またパンフレットは散策後、鳥羽城跡のちょっとした保存版資料にもなるので重宝します。
鳥羽城の西を流れる妙慶川(みょうけいがわ)は、鳥羽城の外堀の役割だった川で、鳥羽城が築城されるまでは、伊勢国と志摩国の国境だった川です。
そして妙慶川に架かる相橋(あいはし)は、武家屋敷から鳥羽城に上がる武士が通った橋で、陸路の玄関口でもありました。
九鬼嘉隆が鳥羽城の石垣を築く時に邪魔をしたという、三鬼神が祭られていた場所に建てられた大山祇神社(おおやまずみ じんじゃ)。
毎年4月に行われる春祭りでは、雄雌の獅子舞と天狗が町内を回り、祓い清めます。
家老屋敷跡は鳥羽城時代の石垣が残る場所です。
石垣の工法は、自然石をほとんど加工せずにパズルみたいに組み合わせて積む野面積み(のづらづみ)です。
鳥羽城は山の一番上が本丸ですが、本丸に上がる前に周辺の石垣をチェックしてみましょう。
なぜかというと、本丸周辺の石垣は関ヶ原合戦以前に築かれた可能性があり、そう考えると関ヶ原合戦は慶長五年(1600)ですから、もしかすると九鬼嘉隆が城主の時の石垣なのかもしれません。
石垣の工法は野面積み。
ふもとの家老屋敷の石垣と同じく、自然石をほとんど加工せずにパズルみたいに組み合わせた石垣です。
本丸石垣沿いに奥に進んでいくと、牢屋跡場所があります。
城内に牢屋があった例は貴重で、東海地方では岐阜県の苗木城と鳥羽城くらいです。
現在は看板だけで遺構は残っていません。
そして本丸跡。
現在では何もない広場ですが、発掘調査によりいろんなものが地中から出てきました。
これです!
石垣、排水溝跡、そして九鬼氏と内藤氏時代の瓦、また井戸跡も出てきました。
こちらは井戸跡。
現在では埋めてあり、石で囲った範囲が井戸のあった場所です。
江戸時代の絵図を見ると、鳥羽城に天守があったことが分かります。
現在ではその痕跡もまったく見当たりませんが、かつて鳥羽城は天守があった城という事ですね。
広島大学・三浦正幸研究室提供による、鳥羽城天守の画像。
延宝八年(1680)に製作された鳥羽城の財産目録には、天守の事が次のような記載されています。
一 天守三重 内壱重、五間に六間
この事から鳥羽城の天守は三層だった事が指摘されています。
また鳥羽城の天守は屋根の構造から、望楼型(ぼうろうがた)という古い形式の天守であったと推定されており、九鬼氏が城主だった頃には、すでに天守があったと考えられています。
本丸からの風景。ここから答志島(とうしじま)が見えます。
答志島は、九鬼嘉隆が最後を迎えた地で、嘉隆の首塚と胴塚があるほか、九鬼水軍の結束を高めるために作られたといわれる寝屋子(ねやこ)制度が残る島です。
鳥羽からフェリーに乗って訪れることもできます。
こちらは答志島から逆の風景。眼下に鳥羽水族館が見えますね。
これらの景色から分かることは、鳥羽城は決して海にイキナリ面していた城ではなく、どちらかというと答志島や坂手島、または菅島などの周辺の島々の陰に隠れる様に築かれた城だったことも分かりますね。
鳥羽城の所要時間は約1時間もあれば周辺と城内を見ることができると思います。またゆっくり巡っても2時間くらいですね。
私の鳥羽城の感想感想ですが、ここは九鬼水軍ゆかりの城ということで、是非訪れることをオススメします。
その理由は、九鬼嘉隆は水軍の将として全国区レベルで有名な武将ですし、伊勢湾を見渡せる地形はまさに水軍の城!と満足できるものです。
また九鬼氏時代のものといわれる石垣もありますし、城内や周辺の案内看板も整備してあるので、分かりやすく見学することができます。
あとこれは私の体験談なのですが、鳥羽城を訪れた時、九鬼嘉隆の首塚と胴塚が残る答志島(とうしじま)もセットにするのがオススメです。
なぜかというと、フェリー乗り場から20分くらいですし、鳥羽城を訪れた時でないと、答志島はなかなか行く機会がないからです。
鳥羽城&答志島、是非チェックしてみてください。