黒鉄櫓が復元された豊橋市三河吉田城跡

黒鉄櫓が復元された豊橋市三河吉田城跡

 

 

愛知県豊橋市の三河吉田城跡は、永正二年(1505)年頃、この地に勢力を持っていた牧野古白(まきのこはく)によって築かれ、池田輝政が拡張した城です。

 

 

築城当時は今橋城といい、後に吉田城と名前が変わりました。

 

 

>>吉田城の詳しい歴史 | ウィキペディア

 

 

続日本100名城に指定されている吉田城は、愛知県東部の名城ともいえる城です。かつての城下町を含め、吉田城の見どころをチェックしてみましょう!

 

 

 

 

 

 

 

もくじ

 

 

 

 

 

電車、バス、車で吉田城へのアクセス方法と駐車場


まずはアクセスから。電車で吉田城を巡る時は、まず豊橋駅を目指します。

 

 

豊橋駅は東海道新幹線も停まりますし、JR本線、地元の名鉄線も特急が停車する駅です。

 

 

豊橋駅からは路面電車で移動します。

 

 

また車でアクセスする場合、有料駐車場と無料駐車場があるので、先に無料駐車場をチェックしておくと良いでしょう。

 

 

>電車、車で豊橋市の三河吉田城へのアクセス方法を説明!

 

 

 

 

 

吉田城の続日本100名城スタンプの場所はここ!


吉田城は日本城郭協会の続日本100名城に指定されています。

 

 

そこで気になる100名城スタンプの場所は、鉄櫓(くろがねやぐら)の中です。

 

 

※鉄櫓の読みは くろがねやぐら

 

 

鉄櫓自体は入場無料なのですが、開館時間と定休日に注意してください。

 

【定休日】 月・火

 

※月・火が祝日の場合は開館していますが、振替休日にあたる場合は休館。

 

【開館時間】 10:00〜15:00

 

 

そしてスタンプ帳ですが、続100名城のスタンプ帳は普通に本屋で販売していますので、まずはあなたの住んでる近所の書店で探してみてください。

 

 

もしなければネット通販でも買えます。(楽天なら送料無料)

 

 

>>楽天でスタンプ帳付き続日本100名城公式ガイドブックをチェック!

 

 

>>アマゾンでスタンプ帳付き続日本100名城公式ガイドブックをチェック!

 

 

 

 

 

吉田城の御朱印

 


吉田城には、御朱印(御城印)があります。場所は城内にある豊橋市美術博物館の中です。

 

 

あらかじめ書置きしたもので、定価は300円。ちなみに日付はセルフサービスということで、自分で記入します。

 

 

 

 

 

 

東海道と旧街道が通る吉田城の城下町


吉田城は、東海道をはじめ、田原街道、蒲郡街道、多米街道といった街道を押さえていた城でした。

 

 

つまり交通の要所だったんですね。

 

 

現在では住宅地、そして商業地として開発が進みましたが、豊橋駅から吉田城へ向けて徒歩でアクセスすると、この城下町の名残を見ることができます。

 

 

 

 

 


まずは東海道。江戸時代に整備された街道です。

 

 

西(京都方面)に行けば御油宿。東(江戸方面)に行けば二川宿です。

 

 

 

 

 


かつての城下町ゆかりの地名も残っています。

 

 

一例をあげると、上伝馬町、本町、札木町、魚町、鍛冶町、曲尺手(かねんて)町、呉服町など。

 

 

 

 

 


吉田宿本陣跡。

 

 

参勤交代で大名が宿泊する宿です。記録によると吉田城は本陣が2軒、脇本陣が1軒、旅籠が65軒ありました。

 

 

 

 

 


こちらは大手門跡。大手門とは分かりやすく言うと、城の表向きの玄関です。

 

 

現在では大手門の碑しかありませんが、東海道に向かって建っています。

 

 

こんな感じで吉田宿の城下町には、チラホラかつての様子を伺える碑や看板が建っているので、徒歩で吉田城に歩いていくのも楽しいですね。

 

 

ちなみに徒歩で吉田城へアクセスした場合の所要時間ですが、歩く速度にもよるのですが約30分くらいです。また地形は多少の高低差はあるものの、ほぼ平地に近いので比較的楽ではあります。

 

 

電車で豊橋駅から吉田城へアクセスする場合、行きは徒歩、帰りは路面電車という具合に使い分けても良いですね。

 

 

 

 

 

三河吉田城はここを見る!吉田城の観光史跡ポイント


では三河吉田城跡の見どころをチェックしてみましょう!

 

 

吉田城は見るべきところがたくさんありますが、その中でも【ココだけは見ておきたい!】というポイントをチェックしてみます。

 

 

 

 

 


まずは現在の豊橋公園入口ですが、ここはかつて吉田城の三の丸でした。

 

 

今でも土塁が残っていますが、前の道路はかつての堀跡です。

 

 

 

 

 


吉田城三の丸入り口にある鏡石。

 

 

鏡石とは、城内に人が多く入る場所に置かれた大きな石で、城主の権威を示すため、または邪気を払うために置かれたという説がある石です。

 

 

 

 

 


二の丸の内堀。良好に残っています。

 

 

 

 

 


本丸手前にある土橋(どばし)。

 

 

※土橋の読みは どばし

 

 

土橋とは、敵が攻めてきた時に横に展開させない様に絞り込むための防御施設。

 

 

両脇に堀があるので横に広がっている攻め込むと堀に落ちますよね。だから縦1列、もしくは2〜3列くらいになるわけですが、そこを側面や前面から攻撃するわけです。

 

 

この土橋の利用例は時代も幅広く、愛知の例でいうと戦国時代の城は大高城、野田城(新城市)など。近世城郭でいえば名古屋城や西尾城にもあります。

 

 

日本城郭検定にもよく出てくる防御施設です。

 

 

 

 

 


吉田城の本丸には四隅に櫓が配置されていました。これはそのうちのひとつである辰巳(たつみ)櫓跡。

 

 

現在は鉄櫓(くろがねやぐら)だけが再建されていますが、その他の櫓があった場所には石碑が建っています。

 

 

 

 

 


吉田城の水門跡。

 

 

吉田城は北に豊川(とよがわ)が流れており、戦などの有事の際には天然の堀になり、普段は吉田城内に船で物資を運ぶ水の道でした。

 

 

その船の荷揚げを行った場所がこの水門です。

 

 

岡崎城なども川を利用して物資を城内に運んでいましたが、この水門跡が残る城は愛知県では吉田城だけです。

 

 

 

 

 


吉田城の石垣をよく見ると、たまに何か模様が入った石があることに気が付きます。

 

 

これはどんな模様かというと…

 

 

 

 

 


これですね!

 

 

石垣の刻印といえば、大阪城みたいに諸大名が築いた天下普請(てんかぶしん)の城に見られます。でも吉田城は天下普請(てんかぶしん)の城ではありません。

 

 

ではなぜ石垣に刻印石が組み込まれているのかという理由ですが、一説には名古屋城築城時に余った石を吉田城に使用したのではないかといわれているからです。

 

 

 

 

 


当時、石の切り出しには大変な労力が必要でした。

 

 

また名古屋城は徳川家康の命で築かれた城で、吉田城の石垣は家康の娘婿である池田輝政が最初に築いたものなので、名古屋城の石を転用する許可が与えられたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

ここが今橋城!吉田城の金柑丸


吉田城は永正二年(1505)年頃、この地に勢力を持っていた牧野古白(まきのこはく)によって築かれましたが、その時に現代の規模の城が築かれたわけではありません。

 

 

築城当時はもっと小さい城でした。(当時は今橋城)

 

 

現在の吉田城址に金柑丸(きんかんまる)という曲輪があるのですが、この金柑丸が今橋城だったという説があります。

 

 

 

 

 


金柑丸の場所は本丸の東。細長い曲輪です。

 

 

 

 

 


現在では豊城神社になっています。

 

 

この金柑丸の部分が今橋城で、時代が流れるにつれ、城の規模も大きくなっていったといわれています。

 

 

 

 

 

 

吉田城に残る池田輝政が築いた石垣の場所


吉田城には多くの石垣が残っていますが、最も古い時代の石垣、つまり池田輝政が城主時代に築いた石垣が残っています。

 

 

それが鉄櫓下の石垣です。

 

 

 

 

 


工法は自然石をほとんど加工せずにパズルみたいに組み合わせた野面積み(のづらづみ)。

 

 

 

 

 


黒鉄櫓下の石垣が池田輝政時代のものといわれていますが、間違いやすいのが鉄櫓横の武具所の石垣。

 

 

一見すると武具所の石垣のほうが黒っぽく、池田輝政時代の石のほうがキレイなので、 武具所の石垣が古く感じられますが、黒鉄櫓下の石垣が池田輝政時代のものです。

 

 

ちなみに池田輝政時代の石垣には、刻印石はありません。

 

 

 

 

 

 

吉田城の天守?!黒鉄の内に入ってみました


吉田城は本丸に4つの櫓がありましたが、天守がありませんでした。

 

 

しかし4つの櫓のうち、鉄櫓(くろがねやぐら)を天守と記載した絵図が残っていることから、鉄櫓が吉田城の天守と認識されていたという説があります。

 

 

 

その鉄櫓は昭和二十九年(1954)に模擬再建され、現在では入場無料の資料館になっています。続100名城スタンプもこの中にあるので、忘れずにチェックしておきましょう。

 

 

【定休日】 月・火

 

※月・火が祝日の場合は開館していますが、振替休日にあたる場合は休館。

 

【開館時間】 10:00〜15:00

 

 

 

 

 


内部は4階建てになっています。これは2階部分。吉田城の歴史などを紹介したフロアです。

 

 

 

 

 


吉田城のジオラマ。これがまたよくできてるんですよ!

 

 

現在いる鉄櫓と周辺の様子を空の上から見ているみたいです。

 

 

 

 

 


巨大な吉田城下町推定図もあります。町の配置と街道がよく分かるんです。

 

 

 

 

 


3階は主に城下町や町民たちの文化について解説してあります。

 

 

 

 

 


そして最上階の4階は展望台になっており、吉田城の東西南北を眺めることができます。

 

 

特に北側は豊川(とよがわ)が流れており、これが天然の堀であり、船で吉田城内に物資を運んだ水の道でもありました。

 

 

 

 

 

 

吉田城の所要時間と私の感想


吉田城の所要時間について。

 

 

私は複数回、吉田城を訪れており、その体験から所要時間を考えてみた場合、サッと巡って約30分、ゆっくり巡っても1〜2時間くらいだと思います。

 

 

そして私の吉田城の感想ですが、できれば時間を確保してゆっくり巡るのがオススメだと思います。

 

 

その理由は、石垣の刻印や池田輝政時代の石垣など、見るべきものは多いからです。

 

 

また吉田城跡の隣には豊橋市役所があるのですが、市役所の13階は一般に解放した展望台になっており、吉田城跡全域を眺めることもできます。

 

 

あと豊橋市ではなく、お隣の豊川市に吉田城の洪水対策で築かれた霞提(かすみてい)跡があります。

 

 

この霞提は吉田城から見ると豊川の上流にあり、場所も吉田城から離れているので車が無いと行くのも難しいのですが、吉田城関連の史跡ということでチェックしてみてください。

 

 

>>詳しい霞提の記事