愛知県新城市の長篠城の築城は永正五年(1508)、今川方となったこの地の土豪・菅沼元成によるものと伝わります。
その後、武田氏、徳川氏と周辺の有力者が変わり、長篠城主も変わりましたが、有名なのは天正三年(1575)の長篠設楽ヶ原合戦。
この時の城主は徳川方の奥平氏でしたが、約1万5千の武田軍に対し、城兵約5百で守り、そのまま設楽ヶ原(したらがはら)合戦に発展したことでしょう。
そして武田軍は設楽ヶ原合戦で敗北。奥平氏は結局、長篠城を守り切ったのでした。
現在では日本城郭協会の日本100名城にも指定されている長篠城址。私も地元愛知ということで、何度も訪れた城ですが、御とずれる度に周辺を含め新しい発見がある城です。
そんな長篠城の見どころを観光ポイントをチェックしてみましょう!
もくじ
まずは電車で長篠城へアクセスする方法です。
簡単に言うと、豊橋駅でJR飯田線に乗り、長篠城駅で降りれば徒歩10分で到着します。
>>名古屋駅、豊橋駅から電車で長篠城へのアクセス方法そして時間と料金
そして車での行き方ですが、新東名高速道路・新城IC(インターチェンジ)で降りれば、約5分くらいで長篠城跡に着きます。
ただ車で行く場合、途中の道の駅・もっくる新城で情報チェックできるので、これは必ずやっておきたいですね。
長篠城の日本100名城スタンプについて説明します。
まずスタンプがある場所は長篠城内にある、長篠城址・史跡保存館の中です。
ここは有料施設(高校生以上210円)ですが、中には長篠城攻城戦の時の血染めの陣太鼓のほか、奥平氏関連の展示物mまた甲冑などもありますので個人的にオススメです。
あとスタンプ台帳は、日本城郭協会の公式ガイドブックについています。
ガイドブックにスタンプを集めると、全部集まった時に日本城郭協会から認定書がもらえるんです。
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では現在に残る長篠城址の見どころをチェックしてみましょう!
といっても、現在の城内だけなら見るポイントはそんなに多くないですよ。
まずは長篠城址・史跡保存館。
100名城スタンプもありますが、奥平氏や長篠設楽ヶ原合戦の展示も必見です。
あと個人的には鳥居強右衛門の展示も要チェックだと思います。
これが現在の本丸。
広い削平地になっています。ここが毎年5月3日に行われる、長篠合戦のぼりまつりのメイン会場になるんです。
長篠城の本丸からは、かつての長篠城攻城戦の時、長篠城を包囲していた武田軍の5つの砦のうち、3つが見えます。
それが久間山砦、中山砦、鳶ヶ巣山砦です。このほかここからは見えませんが、姥ケ懐(うばがふところ)砦、君ヶ伏床(きみがふしど)砦があります。
本丸の半分くらいの場所に残る土塁。長篠城は400年以上前に廃城になっていますが、現在の残る土塁はかなり高いものです。
土塁とセットの空堀。
この時代の防御の要は、堀と土塁がセットになっています。まず堀を掘って、生じた土で土塁を築くというやり方が一般的です。
現在に残る堀もかなり深く、土塁の一番上からの高低差が防御の高さを物語っています。
長篠城の本丸土塁をぐるりと見ていると、JR飯田線の踏切があります。
この踏切は要チェックですよ!なぜかというと、踏切の向こう側には、濃厚な長篠城の遺構が残っているからです。
まずは井戸跡。
水の手は籠城時には必ず必要なもので、いくら米があっても、水が無いと兵は生き抜く事はできません。
長篠城の井戸は現在でも水をたたえています。
そして長篠城の南の先端にある野牛曲輪。
この曲輪の向こうは川になっており、その先に武田方の5つの砦があるワケですが、川が天然の堀になっており、長篠城の南側の鉄壁の守りを作っていたワケです。その拠点がこの野牛曲輪です。
野牛曲輪からさらに降りると、かつての寒狭川(かんさがわ:現在の豊川)に出ます。
ちなみに鳥居強右衛門が岡崎城へ向かう時、長篠城から川へ出て、武田方の鳴子網をかいくぐったそうですが、もしかするとこの辺りかもしれませんね。
川の水は驚くほど澄みきっており、普通に川底が見えるくらいです。魚もいました。
それでは、現在の城内の外にある長篠城の遺構をチェックしてみましょう。まずは大手門、城の玄関口ですね。
現在では、生鮮食品ふぁすと長篠というスーパーの駐車場になっており、大手門跡の碑が建っていますが、大手門を偲ぶ遺構はありません。
でも逆に言えばココもかつての長篠城内だったということです。
次は二の丸の兵糧庫跡(二の丸)です。長篠城駐車場のすぐ近くにあります。
【歴史を変えた日本の合戦・長篠設楽原の合戦】(株式会社ポプラ社)によると、天正三年(1575)年の武田軍による長篠城攻城戦の時、この兵糧庫までが武田軍に落とされ、長篠城内は3日分の食料しか残されていませんでした。
そこで鳥居強右衛門が岡崎城まで救援の使者として走る事になります。
この場所から長篠城本丸を見ると目と鼻の先です。こんな近くまで武田軍が迫って来ていた事を考えると、落城寸前という事がよく分かります。
長篠城の家老屋敷跡です。
長篠城の奥平氏に仕えた家臣団は、城の近くに住んでいました。しかし個々の屋敷を与えられたのは上級武士だけでした。
この屋敷の主が誰なのか?名前はよく分かっていません。でも戦の時、家老屋敷も長篠城の曲輪の一部として利用されたのでしょう。
大手門が玄関口なら、搦手門(からめてもん)は城の裏口です。これは日本城郭検定にも出てきますよ(←ホント)
長篠城の搦手門は、JR飯田線・長篠城駅から長篠城跡に向かう道の途中にあります。大手門と同じく、ここまで長篠城内だったということです。
長篠城の遺構を歩く時、個人的にこれは外せない!と思う場所があります。それが鳥居強右衛門が長篠城に向けて叫んだ場所です。
天正三年(1575)年の長篠城攻城戦の時。兵糧庫まで落とされた長篠城は、3日分しか食料が無いために岡崎城の徳川家康に救援を求める事になりました。
この時の使者が鳥居強右衛門勝商と鈴木金七重正の2名。
2名が岡崎城の徳川家康のもとに行くと、なんと織田信長までもが長篠城の救援に駆けつけていたのです。
この朗報を鳥居強右衛門は、いち早く長篠城に報せようとしますが武田軍に捕まってしまいます。
武田軍は長篠城に向かって、『救援は来ない』と叫べば命は助けると強右衛門に命令しますが、強右衛門は逆に『救援は必ず来る!』と叫び、長篠城兵の士気は大いに上がります。
これにより強右衛門は処刑されてしまうのですが、その強右衛門が長篠城に向かって叫んだ場所というのが検証され、現在立て札も建っているのです。
そこから長篠城を見るとこんな感じです。瓦ぶきの建物は、長篠城址・史跡保存館です。
この場所は後世の検証での場所で、現在生きている誰かが戦国時代に実際に見た訳ではありませんが、ここからなら城内(当時は本丸のみ)に声が届いたであろう場所だった事も納得できます。
この場所は家老屋敷のすぐ近くにあります。
さて、長篠城の見どころポイントいかがでしたか?
今回紹介した長篠城の史跡ですが、これらを全て見て周った所要時間は、資料館の中を含めて約1時間です。
しかし私の感想は、現在の長篠城だけを見るだけではモッタイナイと思います。
なぜかというと、長篠城周辺には、長篠合戦ゆかりの史跡が固まっているからです。
例えば近くには武田軍の馬場信房(美濃守)の陣跡にもなった大通寺がありますし、対岸の乗本地区には、長篠城を包囲していた武田軍の長篠城五砦があります。
さらに鳥居強右衛門が磔になった場所や強右衛門の墓がある新昌寺、そしてパワースポットの牛渕橋などもあり、これらの史跡をセットにすることで長篠城散策の充実感が、かなりアップすると思います。
これらの史跡は歩いて周るのがオススメで、歩くと4〜5時間くらいかかるのですが、そのかわりドップリと長篠城攻城戦の雰囲気を楽しむ事ができます。
せっかく長篠城を訪れるなら、ジックリと時間をかけて楽しみたいですね。
あと長篠城址・史跡保存館には、お土産や食事施設も無いので、お土産&食事は長篠城から車で5分の所にある道の駅・もっくる新城がオススメです。
ここは地元食材をたくさん使ったランチバイキングもありますし、長篠のお土産もたくさん販売しています。
長篠城から設楽ヶ原古戦場に向かう途中にありますし、観光案内所もあるので、道の駅・もっくる新城もチェックしておくとソンはないですよ。