愛知県小牧市にある尾張小牧城址は、織田信長が美濃を攻める時に築城した城で、小牧長久手合戦で徳川家康も陣を置いた山です。
この記事では小牧山城の見どころをまとめてチェックしてみましょう!
小牧山城への電車と車での行き方を説明します。
ますは電車で小牧山城へアクセスする方法ですが、名古屋駅からの行き方は次の通りです。
ちなみに所要時間は約45分。料金は570円です。
次に車での行き方ですが、カーナビで小牧山と入力すると出てくると思います。
また小牧山城の北駐車場は小牧警察署の道路向かい側なので、小牧警察署と入力すれば駐車場はすぐです。
ロードマップで行く場合は、駐車場の場所の地図を参考にしてみてください。
小牧山の続日本100名城スタンプの設置場所は、頂上にある資料館の中です。
資料館は有料で休館日と開館時間もあるので、事前にチェックして訪れるようにしましょう。
続100名城のスタンプ帳は本屋で販売しています。まずは近所の書店で探してみてください。
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小牧山城は御朱印も販売しています。
販売場所は小牧山のふもとにある、れきしるこまき、そして本丸に建つ資料館です。
また御朱印も織田と徳川の2種類があります。
織田とは織田信長のことで、桶狭間合戦後、美濃国(現在の岐阜県南部)を攻める拠点を清洲城から移し、小牧山の周辺を整備したので有名です。
また徳川家康は、天正十二年(1584)年の小牧・長久手合戦で、本陣を小牧山に置いたことから、これにちなんで徳川の三つ葉葵の御朱印なのでしょう。
御朱印帳に記載するタイプではなく、書置きです。値段は各300円で販売されています。
小牧山を巡る時、いろんな見どころポイントがありますが、忘れずにチェックしておきたいものがあります。それが大手(おおて)道。
大手とは、現在の家でいうと玄関に当たります。つまり小牧山城の正門みたいなものですね。
普通、大手道は城内で侵入した敵に備えて側面攻撃できる様、横矢がけという屈折し折れた状態になっているのですが、小牧山城ではしばらくまっすぐです。
これは小牧山城の大手の特徴で、同じような大手が安土城にも見られます。
さて、大手道を登ると小牧山城の本丸に向かいますが、逆に向かうとかつての城下町に向かうんです。
でも、小牧山城の再現された大手道は、ある仕組みというか工夫を施されています。
大手道を山から逆に振り返ると、真正面に小牧市役所があるのですが、ここに大手道のラインがあるんです!
現在の小牧市役所を建てる時、かつての城下町に伸びる大手道を潰すことになりました。
それでは忍びないと思ったのかどうか分かりませんが、大手道のラインを残すことになったのです。
このラインをたどっていくと…
なんと小牧市役所の中まで大手道ラインが通っています。
市役所の中も、小牧山城のかつての大手道が通っていたんだよ〜というラインですね。
たぶん小牧山城を訪れない方は、このラインに気が付いていないはず。
小牧山城を訪れる時、小牧市役所にも行ってみると、この大手道ラインを確認することができます。(ただし平日)
小牧山城で見ておきたい遺構のひとつに土塁を切った断面土塁の展示があります。
つまり土塁の中を見ることができるという事。
場所は北駐車場から小牧山城に入る入り口すぐのところ。
よく見るといくつかの層に分かれていますね。
現在、小牧山のふもとには土塁が取り巻いています。
もともとは織田信長の時代に、小牧山の北〜東にかけて武家屋敷があったのですが、天正十二年(1584)の小牧長久手合戦時、徳川家康がその跡地に土塁を築いたという事が分かっています。
信長時代の武家屋敷跡を整地して、その上に堀を掘った土を積み上げて、叩き固めた構造で急造されたことが分かっています。
それでは小牧山城の見どころをザックリチェックしてみます。まずは虎口(こぐち)。
※虎口の読みは こぐち
虎口とは曲輪の出入り口で、攻めにくく守りやすい工夫が施してあります。
小牧山城には9つの虎口が存在していたことが分かっています。
これはそのひとつ虎口f。
現在は公園整備のための橋が架けられていますが、通路が折れ曲がっているのが分かりますか?
外から攻める時、この折れ曲がった先に門があり、門を破壊している時に横や後ろから火縄銃や矢で攻撃されます。
屈折しているのはそのためですね。
これは山頂の本丸近くの虎口bの画像。
山を登ってきた敵を側面から攻撃できる仕組みになっています。
これはふもとの土塁と堀。
このふもとの土塁は天正十二年(1584)に徳川家康によって築かれたものという事が分かっています。
公園整備の時に復元した部分もありますが、これも敵の侵入を防ぐ防御施設のひとつですね。
では小牧山の頂上、本丸をチェックしてみましょう。小牧山の頂上には、織田信長が築いた石垣群が確認できます。
これは発掘調査で出てきたもので、小牧山城は織田信長が在城していた時期に、すでに石垣があった城という事が分かっています。
また小牧山城では、何度も発掘調査を行っていますが、説明会やってすぐに埋め戻してしまうために、その発掘調査自体が歴史になっているというジレンマもあるんです。
では過去の発掘調査の様子を少しチェックしてみましょう。
私は今まで小牧山城の発掘調査に何度も行った体験がありますが、特に印象的だったのは平成23年(2011)3月に行われた、本丸石垣の発掘調査説明会です。
この時は大規模な石垣群が出たので、それが地元の新聞でも取り上げられ、説明会にも多くの来場者がありました。
これが小牧山城の本丸石垣の想像図。説明会の現地にありました。
これを見るとかなりの石垣群ですね。
これは石垣の裏から出土した裏込め石。
石垣の下から出た丸礫(まるれき)と出隅の遺構。
これは石垣の裏込め石を集めたもの。現在でも展示してあります。
こんな感じで、発掘調査により小牧山城は土の城ではなく、石垣の城だったという事が分かっています。
現在は発掘調査をより進めており、将来的には公園整備によりかつての小牧山城に近づけたいとの事。
今後の整備に期待できそうですね。
小牧山城には、頂上に天守閣風の建物が建っており、中は資料館になっています。
これは昭和42年(1962)に名古屋市に住んでいた実業家・平松茂氏が個人の資産で建設して、小牧市に寄贈した建物です。
小牧山城の続日本100名城スタンプもこの中にあります。
施設内は撮影禁止になっていますが、最上階は展望台になっており、天気が良い日は岐阜城や名古屋駅の望遠を見ることができます。
小牧山城の所要時間と私の感想について。
まず所要時間ですが、私が何度か小牧山城を訪れた時の体験ですが、城内と資料館をザックリ周って約1時間くらいでした。
これは足早に周った時間で、ゆっくり隅々まで巡ると約3時間は必要だと思います。
そして私の感想ですが、小牧山城は尾張の戦国史を体感する時、必ず訪れておきたい城だと思いました。
その理由は、織田信長の居城ですし、家康が守り秀吉が攻めようとした城だからです。
ただ小牧山城を訪れる時、長くても半日くらいで巡ることができるので、後は小牧市内の砦群や近くの戦国史跡をセットにすると良いでしょう。
例えば小牧市と隣の春日井市の境にある、間内駅(まないえき)には浅井長政の銅像が建っていますし、北に向かえば国宝・犬山城がある犬山市に出ます。
小牧山城単品だと1日過ごすのは難しいので、周辺のどんな城や史跡とセットにするのかというのが、ポイントだと思います。