日本には数多くの天守を持つ城がありますよね。
でも一番古い天守、つまり最古の天守はどこなのか?あなたはご存知ですか?
今日はそんな天守のオハナシです。
多くの城は、明治初期に明治政府の命令で天守が取り壊されてしまいました。
そして昭和に入ると観光目的などでかつての天守を復元、再建される様になり、中には存在しなかった天守まで建てられるケースもありました。
そんな中、解体されずに残った天守が12城あります。それを現存天守といいます。
現存天守の城を場所は次の通りです。
ちなみに現存天守とはいっても、どの城も維持管理のための改修工事を行っており、全て築城当時のままというワケではありません。
そしてこの現存天守の中でも一番古いのはどこ?という疑問ですが、犬山城(愛知県)と丸岡城(福井県)の2つの城に絞られます。
まず犬山城は、文明元年(1469)に岩倉織田氏当主・織田敏広の弟・織田広近が現在の場所に砦を築いたのが始まりといわれています。この頃はだま天守はありませんでした。
そして天文六年(1537)、織田信康が木ノ下城から移転する形で、現在の場所に築城した時、天守を築いたそうです。
現在の犬山城天守の構造は、外観三重、内部四階で地下に踊場を含んだ二階が付いています。
そして丸岡城は、天正四年(1576)、北陸の一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築城させ、この時に天守も建てられたと伝わります。
天守の構造は外観二重、内部三階の独立式望楼型天守です。
数字だけを見ると、犬山城天守のほうが古いです。
しかし昭和三十六年(1961)の改修工事の際、次の様な事がわかりました。
現存する天守の二階部分までは天文六年(1537)頃、または慶長六年(1601)頃に造られたと考えられ、それから上は元和六年(1620)頃に造られ、現在の姿になったと考えられています。
つまり1〜2階部分と、3〜4階部分の築城年代が違うワケです。
一方、丸岡城は天正四年(1576)に現在の天守が築城されたといわれています。
しかし広島大学・大学院教授の三浦正幸氏は、監修した【決定版 図説・天守のすべて】という本で、丸岡城天守は建築史の観点において、慶長期の特徴を多く見ることができるとし、慶長元年(1596)以降の築造または改修による姿ではないかと指摘しています。
私の感想ですが、犬山城と丸岡城の最古天守に関する議論は、まだ決着していないと思います。
その理由は、どちらの城もまだ謎の部分が多いからです。
ただ一つ知っておきたいのは、犬山城も丸岡城も当時からずっと現在の姿で存在しているワケではなく、どちらも大きく改修工事が行われた歴史があります。
まず犬山城は明治二十四年に濃尾地震で大きく倒壊し、かつての城主だった成瀬氏が個人で直すことを条件に、譲り受けたという歴史があります。
そして丸岡城も昭和二十三年の福井大地震により大きく倒壊し、もとの部材を極力使い、改修工事が行われました。
この改修工事に関しては、いろんなツッコミ所があると思いますがそれはさておき。
これからも研究が進み、犬山城と丸岡城のどちらが日本最古の天守なのか?判明する日が待ち遠しいですね。