越前北ノ庄城は戦国時代、この地を治めていた柴田勝家の居城跡です。また北ノ庄城の跡地を整備拡張して福井城が築かれたので、北ノ庄城は福井城の前身の城ともいえますね。
まず北ノ庄城のアクセスですが、電車で訪れた場合、JR福井駅から徒歩だと10分ほどです。かつての北ノ庄城の中心地は、柴田勝家を祭る柴田神社が建立されていますので、柴田神社目指して歩いて行くと着きます。柴田神社の場所の地図を貼っておくので参考にしてください。
また車でアクセスする場合は、柴田神社近くに北ノ庄城の無料駐車場があります。もし満車の場合は、近くの有料駐車場に車を停めると良いでしょう。
現地案内看板より。かつての北ノ庄城想像図。柴田時代の北ノ庄城天守は、秀吉との戦いで燃えてしまいましたが、当時の様子を偲ばせる記録が残っています。まずは天正九年(1581)、北ノ庄城を訪れた宣教師・ルイスフロイスの書簡には次の様に書かれています。
此の城は甚だ立派で、今、大きな工事をして居り、予が城内に進みながら見て、最も喜んだのは、城および他の家の屋根がことごとく立派な石で葺いてあって、その色により一層城の美観を増したことである…
また羽柴秀吉が柴田勝家を攻めた天正十一年(1583)5月15日、小早川隆景宛ての書簡で次の様に記しています。
城中に石蔵を高く築き、天守を九重に上げ候…
つまり北ノ庄城の天守は9層だったという事ですが、織田信長の安土城でも7層の天守だったので、北ノ庄城はそれ以上に高い天守だったのでしょう。
柴田神社を含む北ノ庄城址公園の地図。公園内には柴田時代の北ノ庄城址の遺構や福井城の堀跡があります。
こちらは柴田時代の北ノ庄城の堀跡。発掘調査で出てきた東西の幅が約25mあり、南北に延びていた堀跡の一部です。露出展示している石列は、堀南側の石垣です。
天守跡付近で発掘された石。これも柴田時代の石垣の石と考えられています。
柴田神社境内に建つ柴田勝家の銅像。柴田勝家は福井県生まれではなく、現在の愛知県名古屋市名東区生まれの戦国武将です。
勝家の近くに建立された、妻・お市の方と三人の娘たちの銅像。お市の方は織田信長の妹で、3人の娘は小谷城主・浅井長政との子どもです。
見落としがちなのが、柴田神社の側にある北ノ庄城址資料館。中は休憩室のほか、北ノ庄城や福井城に関する展示資料があります。入館無料。
北ノ庄城の所要時間ですが、資料館を含めて約30分もあれば十分に見て周ることができると思います。そして私の感想ですが、この柴田神社と北ノ庄城は、柴田勝家ファンはもちろん、織田家家臣団に興味がある人は、必ずチェックしておいた方が良いと思いました。
なぜかという理由ですが、まず柴田勝家ゆかりの城はあまり無く、滋賀県の玄葉尾城など数が少ないからです。あと福井城とセットにできるという点もポイントが高いですね。