2つの大手!河原石の石垣!国指定史跡の静岡県掛川市横須賀城跡

2つの大手!河原石の石垣!国指定史跡の静岡県掛川市横須賀城跡

 

 

静岡県掛川市にある横須賀城は、高天神城を攻略するために徳川家康が大須賀康高に命じて築かせた城です。江戸時代は横須賀藩の藩庁として存続しました。

 

 

横須賀城の詳しい歴史 | ウィキペディア

 

 

私が横須賀城を知ったキッカケは、大須賀康高の事を調べていた時の事。彼が築城した城ということで調べていると、かなり個性的な城という事が分かりました。

 

 

この記事ではそんな横須賀城の観光ポイントと城巡りの見どころをチェックしてみましょう。

 

 

もくじ

 

 

 

 

 

 

 

 

横須賀城へのアクセス


横須賀城への行き方ですが、まず電車でアクセスする場合、地元の秋葉バスを利用します。

 

 

JR袋井駅に着いたら3番乗り場から秋葉中遠線・【大東支所】行又は【横須賀車庫前】行き乘り、七軒町バス停で降ります。そこから横須賀城跡公園までは歩いて約5分くらいです。

 

 

次に車でのアクセス方法ですが、カーナビの建物検索で、横須賀城跡公園と入力すると出てくると思います。

 

 

もし出なかったり、ロードマップで行く場合は、横須賀城跡の住所からチェックしてみると分かりやすいです。

 

 

横須賀城跡公園の住所

静岡県掛川市西大渕4226

 

 

横須賀城跡公園の地図

 

 

 

 

 

 

まずトイレの広場に行く理由


横須賀城に到着したら、まずはトイレがある広場に行くことをオススメします。なぜかというと、その広場に横須賀城の大きな縄張り図があるからです。まずはここで作戦会議。

 

 

そして縄張り図を見ると、意外な事が分かります。それはトイレのある広場を中心にして、東半分はたくさん遺構があり、西半分は見るべきものが少ないです。

 

 

もっというと、東半分が公園化されており遺構がたくさん。西半分はいくつか見るべきものはあるものの、ほとんどが空き地です。

 

 

片側を巡ったらトイレの広場に戻りもう片側、という巡り方が分かりやすいと思います。その都度、この縄張り図もチェックですね。

 

 

 

 

 


次に横須賀城の大きな特徴を3つチェックしておきます。

 

  1. 河原石のみの石垣
  2. 2つの大手口(門)
  3. 宝永地震(1707)までは城内に船着き場があった

 

細かなことを言えばもっとありますが、この3つはチェックしておきましょう。(3)の船着き場は地震で地形自体が変わってしまったのでもうありません。でも(1)の石垣と(2)の門跡は確認できます。

 

 

 

 

 


そしてもうひとつ知っておきたいのが、横須賀城の史跡指定範囲。

 

 

横須賀城は国指定史跡になっており、この看板でその範囲を知る事ができます。

 

 

で表示されている部分は、史跡整備以外での現状変更はできない地域になっており、そのために横須賀城周辺には空き地が多いのです。

 

 

 

 

 

 

東半分を巡る


それではまずは遺構がたくさんある東半分から巡ってみます。トイレのある広場から東に進むと天守台があった本丸に出ます。

 

 

横須賀城にはかつて三層四階の天守がありました。もう天守は残っていませんが、天守台から天守の規模を実感できます。

 

 

 

 

 


礎石が復元されており、天守があった場所に出ると南側がかなり開けて見えます。南側はかつて入江で、宝永地震まで船着き場があったとされる方角です。

 

 

 

 

 


本丸の石垣を見ても丸い河原石だらけ。これも横須賀城の特徴ですね。

 

 

 

 

 

 


あと本丸には横須賀城のジオラマと歴代城主の一覧表がありました。大須賀氏の天正時代から西尾市の明治時代までの横須賀城の城主の名前です。

 

 

 

 

 


本丸下にある三日月堀、三日月みたいに半円形になっているのでこの名前が付きました。近くに民家が建っていますが、これだけの遺構が残っているのは嬉しいですね!

 

 

 

 

 

 

多門櫓があった松尾山


三日月堀を過ぎて、本丸下をぐるっと周ってみましょう。すると北の丸という広い削平地に出ます。その先にこんもりした小山があるのですが、これが横須賀城の松尾山です。

 

 

 

 

 


これは江戸時代の古地図。まず左下に天守がある本丸がありますね。そしてそのナナメ右上に北の丸。そしてその先に松尾山があるのですが、古地図によると松尾山には多門櫓もあったみたいです。

 

 

 

 

 


松尾山は登ると削平地があり、奥の崖近くに案内看板があります。それによるとここに多門櫓がありました。

 

 

 

 

 


発掘調査の結果、礎石が出てきており建物の跡が推定されるとの事。形や大きさからいって、多門櫓があった事がわかっています。

 

 

ちなみにこの北側が崖になっており、その下は大きな堀みたいな地形になっています。正直、甲冑着た足軽が登る事ができないくらいの角度で、この方角(東北)からは攻めるのが難しいのではなかったのかなと思います。

 

 

 

 

 

 

西半分を巡る


それでは西半分を巡ってみましょう。

 

 

横須賀城の西側も指定史跡なのですが、公園化されておらず、遺構もあまりありませんが、チェックするポイントはいくつかあります。

 

 

 

 

 


米蔵跡には、たたき製防火水槽があります。米蔵だけに防火用の水が入っていた水槽です。

 

 

側面を見ると菱形のマークがありますが、これは城主・西尾市の火消し紋です。

 

 

 

 

 

 


次にチェックしておきたいのが不開門(あかずのもん)跡。横須賀城の搦手門(裏口)跡です。

 

 

なぜこれがチェックしておきたいのかというと、ここにあった不開門(あかずのもん)は、横須賀城跡から北西に約300m程のところにある撰要寺(せんようじ)に移築されているからです。

 

 

※撰要寺の読みは せんようじ

 

 

横須賀城跡とセットで訪れる事ができるので、その門があった場所ということで不開門の場所を覚えておきましょう。

 

 

 

 

 


また不開門跡の近くに用水路みたいな川の様なものが流れていますが、これが絵図にある横須賀城の外堀跡です。

 

 

 

 

 


こちらは横須賀城西大手門跡。横須賀城には西と東の2つの大手門があった事がわかっています。東側は碑が建つのみで遺構がよく分かりませんが、西大手門跡は外堀跡に面しており、遺構がよく分かります。

 

 

 

 

 


西大手門跡の内部。ここにも河石が使われていますね。

 

 

あと個人的に気になったのが、門の内部の屈折、つまり虎口みたいに折り曲げてある部分です。

 

 

でもかなり細く、横矢掛けの屈折なのか?それとも後世たまたまこうした作りになったのかよくわかりません。ちなみに奥に行くと民家に繋がっています。

 

 

 

 

 


西大手門跡の前にある外堀跡。

 

 

江戸時代の絵図を見ると外堀の向こう、つまり現在の県道が中土居跡(土塁跡)で、その先が宝永地震まで入江になっていました。

 

 

これらの外堀も土塁跡もトイレの広場にある絵図に記載されているので、写真に撮って歩きながらチェックするのも良いですね。

 

 

 

 

 

 

所要時間と私の感想

横須賀城の見どころをザックリと紹介してみましたがいかがでしたか?

 

 

所要時間ですが、東側と西側を歩いて散策して約1時間くらいだと思います。もちろんこれは目安で、もっとジックリ時間をかけてチェックしてみるのも良いでしょう。

 

 

私の横須賀城の感想ですが、この城は個性的な特徴がある城なので、遠州(静岡県西部)の城巡りをする時、必ずチェックしておきたいと思いました。

 

 

その個性的な特徴というのが冒頭にも書いた次の3つです。

 

  1. 河原石のみの石垣
  2. 2つの大手口(門)
  3. 宝永地震(1707)までは城内に船着き場があった

 

特に河原石は天竜川から運んだという事が分かっており、河原石のみの石垣というのも見ごたえがあります。積み方は…野面積みでいいのでしょうかね?w

 

 

あと私が横須賀城の史跡巡りを体験してみて思った事は、横須賀城巡りとセットにしたい移築された建物を追加すると城巡りの充実度もアップするという事です。

 

 

横須賀城の移築された建物は次の3つがあります。

 

  1. 不開門(撰要寺)
  2.  

  3. 江戸時代の町番所(掛川市役所大須賀支所)
  4.  

  5. 書院(油山寺)

 

油山寺は車で30分くらいかかるのでセットにするのは難しいですが、不開門と町番所は近い場所にあるので、横須賀城を巡った時にはこの2つはセットにできれば、城巡りの充実度も上がると思います。