静岡県浜松市の浜松城は、徳川家康の遠江時代の拠点となった城です。
もともとこの地にあった曳馬城(ひくまじょう)を改修・拡大して築かれたといわれる浜松城は、遠州における徳川家康の本拠地です。
伝承では浜松は豊臣秀吉ともゆかりがあり、歴代の城主も多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから出世の城といわれています。
続日本100名城に指定されている浜松城は見どころも多いので、ここでまとめてチェックしておきましょう!
もくじ
では浜松城へ行き方を紹介しますね。まずは車編。
車でアクセスする場合、まずはカーナビの検索機能で、浜松城公園と入力すると出てくると思います。
もしロードマップで行く場合は、浜松城の駐車場の住所からチェックしてみましょう。
そして駐車場ですが、浜松城には無料駐車場があります。でも近くに市役所の有料駐車場があって、たまにそちらが浜松城の駐車場とカンチガイする人がいますので、まずは無料駐車場に向かいましょう。
浜松城駐車場の住所
浜松市中区元城町109−18
次に電車とバスで浜松城への行き方を説明します。結論から言うと、浜松駅から城の近くまでバスが出ています。
まずは電車で浜松駅まで行き、そこからバスで移動します。
浜松城は日本城郭協会の続100名城に認定されています。
スタンプ設置場所は天守の中です。
【休館日】 12月29日、30日、31日
【営業時間】 午前8:30〜午後4:30(入城は閉館10前まで)
【料金】
・大人(高校生以上) 200円 ※障がい者・療育手帳を持っている方は本人と介護者1名無料
・中学生以下 無料
・団体割引 30人以上⇒1割引 100人以上⇒2割引
またスタンプ帳は書店で販売しています。まずは近所の本屋さんをチェックしてみてください。
もしなければネット通販でも購入できます。(楽天なら送料無料)
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浜松城には御朱印(御城印)があります。場所は100名城スタンプと同じ天守の中です。定価は300円。
神社やお寺のの御朱印みたいに御朱印帳に記載するのではなく、書置きのものを販売しています。
それでは早速、城内を散策してみましょう。
まず目に入るのは浜松城の石垣群。浜松城の石垣は江戸期のものといわれ、徳川家康が城主の頃は土の城だったといわれています。
明治まで存続した城なので、改修した部分もあると思いますが、今でも見事な石垣ですね。工法は野面積み。
野面積みとは、自然石をあまり加工せず、パズルみたいに組み合わせて築く工法です。
また石垣の中には栗石(くりいし)といって、小さな石を敷き詰めます。この栗石は日本城郭検定にも出題されます。
では天守に行こうとすると…なにやら門の所に大きな石がありました。
実はこれ、鏡石(かがみいし)というものです。
鏡石とは、城門脇など登城する人が多く通るところに置かれた石で、鏡みたいな平べったい形をしています。
なぜ鏡石を置くのかという理由はいくつかあるんです。
まずは『こんなに大きな石を城内に運び込んだんだぞ!』という、城主の権威の象徴という説。
また鏡により邪気を払うためという説などがあります。
ちなみに鏡石は浜松城特融のものではなく、三河岡崎城や吉田城、信濃上田城にもあります。
いよいよ天守が見えてきました!ちなみに浜松城の場合、天守がある曲輪の下に本丸があり、天守がある場所は天守曲輪(てんしゅくるわ)です。
早速天守に入ってみたい気持ちもありますが、ちょっつとその前にチェックしておきたいものがあります。
それが天守門と井戸です。
天守門は明治六年(1873)に取り壊されましたが、発掘調査に基づき、平成二十六年’2014)に復元されました。
天守門は有料施設なのですが、天守と共通券になっており、天守の入場料を払えばチケット提示で中に入ることができます。
天守門の中はちょっとした資料館になっています。まだ新しいですね。
天守曲輪には井戸があります。城が当時には、銀明水(ぎんめいすい)と呼ばれていました。
浜松城には合計10本の井戸があり、そのうちの一つです。
それでは天守に入ってみましょう!入り口も野面積みの石垣に囲まれています。
ここも侵入してくる敵を想定してか、屈折した作りになっており、側面攻撃ができる様になっています。
天守は地下1階、地上3階になっており、主に資料館になっています。
入り口で入場料金を払い中に入ります。
浜松城の日本100名城スタンプも天守の中にあるので、スタンプを集めている人はお忘れなく♪
天守1階にある井戸。
ここは城内用の井戸だったのでしょう。
最上階は展望台になっており、浜松城の東西南北の景色を眺めることができます。
いろんな方面にいろんなものを見ることができますが、その中でもチェックしておきたいのが、浜松城の前身の城である曳馬(ひくま)城跡です。
曳馬(ひくま)城とは、浜松城の前身の城です。
引間(ひきま)城とも
現在の浜松城がある辺りは、鎌倉時代には曳馬という地名でした。
交通の要所ということもあり、次第に町ができ、それを見下ろす小高い丘の上に曳馬城が築かれたといいます。
いつ誰が曳馬城を築いたのかハッキリしていませんが、歴代城主として名前が残っているのは、尾張守護の斯波(しば)氏に従っていた巨海氏、大河内氏そして駿河の今川氏家臣・飯尾(いのお)氏です。
このことから、戦略上の重要拠点だったことが分かりますね。
徳川家康が最初に居城としたのも曳馬城で、手狭だったのか、曳馬城を拡大させる形で浜松城が築かれます。
その時、曳馬城を完全に廃城にしておらず、浜松城の曲輪の一部として曳馬城を取り込んだ形になっています。
現在は徳川家康を祭神とする東照宮になっています。
これが曳馬城跡と浜松城の位置関係図。
浜松城の駐車場に車を停めれば、右手に曳馬城跡、左手に浜松城とバランス良く巡ることができます。
ところで江戸時代には米蔵として活用されていた曲輪とも言われていますが、戦国時代では重要な曲輪だったエピソードが残っているのです。
それがここ!曳馬城には北側に玄黙口(げんもくぐち:元目口)という門がありました。
元亀三年(1572)、三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗北した徳川家康は、この城門へ退却したといわれています。
この事から、浜松城の一曲輪として取り込まれた曳馬城跡は、このころまでは浜松城の重要な曲輪だった事が分かりますね。
曳馬城跡を歩いていると…何やら谷間を歩いている事に気が付きます。
縄張り図を見ると、たぶんこれは曳馬城跡の曲輪間の堀跡の様です。
曳馬城跡は現在、東照宮と民家になっていますが、縄張り図に残る堀跡と思われる地形はハッキリと残っています。
では、まずは本丸を攻略してみましょう!
曳馬城の本丸は家康を祭神とする東照宮になっています。
まずはお参り。
すると右手に誰かいる気配を感じます…
よく見ると実はこれ、徳川家康と豊臣秀吉の銅像なのです。
なぜココにこの2人の銅像が?
実はこの2人はこの地にゆかりがある戦国武将だからです。
まず徳川家康は曳馬城主にもなった人物で、浜松城を築きます。
ちなみに銅像の年齢は、三方ヶ原の戦いで武田信玄に挑んだ頃の31歳という設定です。
そして反対側はサルっぽい…少年がいます。じつはこれ、後の太閤豊臣秀吉です。
『なんで秀吉がこんなところにいるんだ??』という疑問ですが、これも有名なエピソードがあるからなんですね。
江戸時代の太閤素生記によると、父が亡くなり形見として残された永楽銭一文で針を買い、行商して旅をしていた日吉(秀吉の幼名)は、遠州の馬込川にたどり着きます。
ここで豪商の松下嘉兵衛に出会い、曳馬城に連れてこられました。
ある日、曳馬城主・飯尾家の宴席で、サルの物まねをして栗を食べて見せたのが思いっきりウケて、それがキッカケで松下家に武家奉公する事に。この時に長年の夢であった武士の第一歩を踏み出すことになりました。
松下家で過ごしたのは約3年間で、その後尾張へ戻り、織田信長に仕え、後に天下人となりました。
これはその当時、16歳の秀吉の銅像です。
ちなみに2人の銅像の間に立って記念写真が撮れます。
秀吉も家康も天下人になった人物です。
その2人の間で写真が撮れるということは、ある意味、パワースポットともいえますね。
では最後に浜松城の所要時間と私の感想です。
まずは浜松城の所要時間ですが、浜松城と曳馬城を合わせて1時間〜2時間くらいだと思います。
この時間の幅は何かというと、写真を撮る時間です。
浜松城は江戸期の野面積みの石垣が豪快に残っていますので、その写真を撮るだけでもコダワリがある人なら時間がかかってします。特に本丸入り口の鏡石はお忘れなく!
そして私の感想ですが、浜松城は日本城郭協会の続100名城にふさわしい城だと思いました。
その理由は、こじんまりとして大きくない城ですが、遺構や石垣、そして前身の城である曳馬城跡が残っているからです。
でも所要時間から考えて、ここで1日過ごすことはできないので、近くにある犀ヶ崖資料館(さいががけしりょうかん)とセットにすると良いと思います。
あとこれは私の現地での失敗体験なのですが、浜松城の近くにはお手頃な飲食店やコンビニが無いです。
つまりランチや食事に苦労するという事。
普通、観光で訪れることができる城には飲食店が付き物ですが、浜松城にはそれがありません。つまりランチに困るという事です。
この解決方法は、所要時間が1〜2時間ということで、午前中早めに行って浜松城を巡った後にランチを食べる、もしくは昼食後に浜松城を訪れるという工夫が必要だと思います。
またもし時間があるなら、駐車場のすぐそばにあるホテルコンコルド浜松のランチバイキングが一番近くのオススメランチだと思いました。