三重堀や馬出しの遺構がよく分かる静岡県吉田町の小山城跡

三重堀や馬出しの遺構がよく分かる静岡県吉田町の小山城跡

 

 

静岡県榛原郡吉田町の小山城(こやまじょう)は、今川氏が築いたといわれる城です。

 

 

※榛原の読みは はいばら

 

 

その後徳川氏、武田氏の手に落ち、遠江と駿河の戦乱の中、要の城となります。また縄張りは山本勘助から築城術を学んだ馬場信房(美濃守)が担当したといいます。

 

 

>>詳しい小山城の歴史 | ウィキペディア

 

 

私がなぜ小山城が好きなのかというと、三重堀や馬出の遺構がよく分かるからです。

 

 

天守はコンクリート作りの模擬天守展望台なのですが、天守よりも見るべきところがたくさんあります。では順番にチェックしてみましょう!

 

 

もくじ

 

 

 

 

 

 

 

 

アクセスと駐車場

まずは電車とバスでのアクセス方法です。

 

静岡駅 静岡駅の(北口)から「しずてつジャストライン」特急静岡相良線・相良営業所行きに乗車。片岡北吉田特別支援学校で下車、そこからは徒歩5分
島田駅 島田駅(北口)から「しずてつジャストライン」島田静波線・静波海岸入口行きに乗車。片岡北吉田特別支援学校で下車、そして徒歩5分
藤枝駅 藤枝駅(南口)から「しずてつジャストライン」藤枝相良線・相良営業所行きに乗車。片岡北吉田特別支援学校で下車、そこから歩いて約5分

 

 

次に車での行き方ですが、カーナビの建物検索で展望台小山城 と入力すると出てくると思います。

 

 

※たぶん小山城では出てきません

 

 

展望台小山城 最寄りの高速道路ICは東名吉田ICです。

 

 

 

 

 


次に駐車場ですが、小山城には公園の開園時間内の無料駐車場があります。これで時間を気にすることなく小山城を散策できますね。

 

 

 

 

 


駐車場に車を停めると…

 

 

おお、早速天守が見えますね。あのふもとまで登るわけです。

 

 

 

 

 

なぜソテツが夜に泣くのか?


では駐車場から小山城に向かってみましょう。

 

 

でもその前にチェックしておきたいものが能満寺にあるので、境内に向かいます。

 

 

 

 

 


それがこのソテツ(蘇鉄)。天然記念物に指定され、日本三大蘇鉄にもなっています。

 

 

能満寺のソテツは、長徳元年(995)に安部清明が中国から持ち帰り植えたと伝えられています。

 

 

戦国時代に徳川家康が所望し、駿府城に移しましたが、『能満寺に帰りたい』と夜な夜な泣いたので、それを哀れに思った家康により、再び能満寺に戻されたという逸話があります。

 

 

 

 

 


ソテツをチェックしたら、いよいよ小山城へ登って行きます。

 

 

このアクセス地図を見ると、女坂を上り虚空菩薩の堂の前を抜けて小山城にたどり着くのが分かりますね。

 

 

それともうひとつ、石段を抜けるとショートカットできますが角度が急です。

 

 

 

 

 


ちなみにこれが女坂。これでもなかなかの角度です…

 

 

 

 

 

天守の中はこうなってる!


そしてたどり着いた小山城天守。

 

 

『どこかで見たことがある天守だな〜』と思ったあなたはスルドイです!そう、小山城天守は犬山城(愛知県)の天守を模して作られた模擬天守なのです。

 

 

 

 

 


ちなみに付櫓もちゃんとありますよ♪

 

 

 

 

 


これが小山城天守の入場料金と開館時間、そして定休日です。

 

 

時間内に訪れましょう。

 

 

 

 

 


小山城天守の中は、甲冑や武具などの展示物をはじめ、パネルなど歴史の説明もあります。

 

 

 

 

 


特にこの小山城のジオラマは要チェックです。なぜかというと、天守周辺には三重堀や馬出の遺構があり、その配置や様子が詳しくわかるからです。

 

 

これらの現地レビューはまた後ほど…

 

 

 

 

 


史実の小山城に天守は無かったので、これだけ高い位置から周辺を見渡すことはできなかったものの、物見台くらいはあったと思います。

 

 

ところで小山城がある吉田町のとなりには、空港がある牧之原市、島田市がありますが、この展望台から飛行機が見えませんかね?

 

 

 

 

 

馬出とはなんですか?


小山城天守は史実には無かった模擬天守ですが、ここからチェックしておきたいものがあります。それが馬出(うまだし)の遺構。

 

 

馬出とは簡単に言えば、虎口(こぐち:曲輪の出入り口)を守る防御の工夫。

 

 

写真の右側に本丸があるので敵は左側から攻めてきます。そうすると大きな三日月堀があるので、敵は堀の左右に分断されますので、馬出付近の一列になった敵を迎え討ちます。

 

 

必要なら本丸から側面攻撃もできますね。

 

 

小山城天守からだと、この馬出の構造もよく分かります。

 

 

 

 

 


では遺構を詳細に見てみましょう。まずは三日月堀。

 

 

これが敵を二分させます。当時は掘側の土塁も、もう少し高かったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 


これは土橋(どばし)の画像。赤い橋は観光用の橋で、下の土の部分です。

 

 

馬出を突破できてもこの土橋を渡らないと本丸には行けません。でも敵が土橋を渡る時には一列になります。横展開すると堀に落ちるのですよ。

 

 

一列になった先に敵が待ち構えていたり、側面から攻撃されたりします。

 

 

 

 

 

森の中


三日月堀を求めて森の中に入ってみます。これは小山城の供養塔。

 

 

小山城は戦国時代に落城した歴史があり、数の詳細は不明ですが多くの方が亡くなったといいます。

 

 

その方たちの供養塔ですね。

 

 

 

 

 


山本勘助ゆかりの勘助井戸。

 

 

武田軍の軍師で築城術にも長けていたといわれる山本勘助が、この小山城でどの様な活躍をしたのは不明。

 

 

 

 

 

 


個人的に小山城で馬出と同じくらい要チェックと思う三段堀。落城から数百年経っても濃厚に残っているのがスゴイですね。

 

 

武田氏は重ね堀を築くのも得意で、例えば愛知県新城市の古宮城は、馬場美濃守が前例の無い五段堀を築いたりしています。

 

 

ところで小山城の三段堀は看板の場所から見るより、供養塔がある場所からみた方が3つキレイに見えます。

 

 

あと夏より冬の方がオススメです。なぜかというと草木が生い茂っておらず、藪蚊をはじめとする虫もいないからです。

 

 

 

 

 

私の感想

私の小山城の感想は、馬出と三段堀のモデルを見るなら、この城がオススメだと思います。

 

 

なぜかというと、両方の遺構もハッキリと確認することができるからです。特に馬出は天守から見ると本丸含めてよくわかります。

 

 

所要時間は駆け足で周って30分くらい。ジックリ周って1時間30分くらいでしょう。

 

 

天然記念物の能満寺のソテツと合わせて、巡る甲斐がある城のひとつだと思います。