自然地形と城下町遺構が色濃く残る飯田市飯田城址

自然地形と城下町遺構が色濃く残る飯田市飯田城址

飯田市飯田城址遠景
長野県飯田市の飯田城址は自然地形を活かした連郭式(れんかくしき)の城跡で、城下町の遺構と共に楽しむことができます。

 

 

 

まずは飯田駅に行く
 

飯田駅から飯田城址までのアクセス地図
私の感想ですが、飯田城に行く時、そのまま城址に行くのではなくJR飯田駅から徒歩でアクセスするのがオススメです。その理由は城下町の遺構や自然地形を楽しむことができるからです。駅からの所要時間は30分くらいです。

 

 

 

飯田駅市営駐車場
JR飯田駅のすぐ隣に飯田市営駐車場があります。2時間無料で以降は30分100円なのでここに車を停めていざ飯田城へ!

 

 

飯田城ガイドブック!
 

飯田城ガイドブック
飯田駅の中にある観光案内所で販売している飯田城ガイドブックは要チェックです!その理由は飯田城と周辺の見どころが多く記載されているから。また全体地図もあってオススメの1冊です。(定価1,000円)

 

 

いざ城下町へ!
 


それでは飯田城址へ出発!駅前は商店街になってます。また坂を下る様な作りになっており、坂の途中に町を作ったのがよく分かります。

 

 

飯田焼肉店組合
飯田市の名物のひとつに焼肉があります。立ち寄りたかった…

 

 

防火用の路地
市街地中心部を歩いていると、細い路地が沢山あります。これは火事が起きた時の避難路及び消防活動の通路で裏界線(りかいせん)といいます。

 

飯田市は昭和二十二(1947)に飯田大火(いいだ たいか)とよばれる大火事がありました。その時に避難路及び消防活動の場所を確保することが困難だったため、この様な路地がいくつも作られたのです。

 

>>飯田大火 | ウィキペディア

 

 

飯田市峯高寺
徳川家康の孫・福姫(登久姫)の墓が残る峯高寺(ほうこうじ)。令和五年(2023)NHK大河ドラマ・どうする家康で分かりやすく例えると次の通り。

 

家康の息子・松平信康(大河では細田佳央太さん)と妻の五徳(大河では久保史緒里さん)の間には女子が2人生まれたのですが、その長女が福姫(登久姫)です。彼女は小笠原秀政に嫁ぎ、秀政が飯田城主だった時に亡くなり、峯高寺に葬られました。織田信長と徳川家康を祖父にもつ女性でもあります。

 

>>峯高寺の地図

 

 

川本喜八郎人形美術館
飯田市の中心地にある川本喜八郎人形美術館。NHK人形劇・三国志の人形を作っていた人です。これ知ってるので世代分かるな〜ちなみに私は見てました。

 

 

 

そして飯田城址!
 

飯田城跡の地図
城下町を抜けいよいよ飯田城址です。場所的には飯田市立追手町小学校、長野県飯田合同庁舎より先が城跡です。飯田市立中央図書館横に飯田城の地図が書かれた看板がありますのでこれは必ず見ておきたいです。

 

 

飯田城址の地図
飯田城は舌状台地(ぜつじょうだいち)と言って、舌の形をした細長い大地の上に城がありました。特徴は三方が崖になっており、攻め込む事が困難な地形です。

 

 

飯田城址赤門
飯田城の赤門。宝暦四年(1754)に上棟された櫻丸の門で廃城後も役所の門として活用されました。

 

 

 

飯田城の裏門へ行ってみる!
 

飯田城址水の手御門への道
本丸へ向かう途中にガクッと下がっている道を発見。実はこれ、飯田城の搦手門(からめてもん:裏門のこと)である水の手御門への道です。そのまま本丸に行くのも良いですが、ここはちょっと寄り道♪

 

 

飯田城址水の手御門跡
坂の途中にあった水の手御門跡。飯田城の搦手門(からめてもん:裏門のこと)跡です。石垣と石垣の間に扉がある埋門(うずみもん)だったのでしょう。

 

>>飯田城水の手御門跡の地図

 

 

飯田城水の手御門柱の跡
左右の石垣をよく見てみると、かつて柱が通っていたくぼみの跡が残っています。

 

 

飯田城水の手御門跡の説明看板

飯田城水の手御門

 

慶長六年(1601)小笠原秀政五万石で飯田城に報ぜられ大いに城を拡張して大手門を西口とし、この門は搦手門となった。以来脇坂氏五十八年、堀氏百八十七年に渉る間を経過して廃藩の際、明治二年(1869)に取り払われ石垣のみを残している。初め天正十八年(1590)毛利秀頼十万石次いで京極高知十二万石で入部の頃の大手門でこの右手に二の丸、本丸があった。この巨石は尾科文吾の運んだものとの伝説で知られる

 

飯田市観光協会

 

 

飯田城水の手御門の石垣
案内看板を読んでみると水の手御門跡の石垣は当時のものと書かれています。石垣好きの方必見です!

 

 

飯田城の高低差
水の手御門跡から県道に降りてしばらく歩道を歩いてみました。すると飯田城の高低差を実感できます。舌状台地の側面を削って歩道にしているので、城側とふもと(松川)の中間を歩いており、高低差が楽しいです。これ、甲冑着て城に攻め上るのは困難な高さですね。

 

 

 

そして本丸
 

飯田城本丸跡の長姫神社
軌道修正して本丸へ。本丸は長姫神社になってます。

 

 

江戸時代に奉納された長姫神社の手水鉢
享和二年(1802)に城主・堀親長の側室・お利瀬の方が奉納した手洗石。彼女は九代・親民(ちかたみ)と十代・(ちかしげ)の実母で、我が子の無事と栄達を祈って奉納したものです。

 

 

飯田城本丸櫓台跡の石垣
長姫神社本殿裏に飯田城時代の櫓台の石垣が残っています。これは神社の方が特別に案内してくれたので偶然に見ることができました。工法は野面積みといって、自然石をパズルみたいに組み合わせた積み方です。残っているのは一部ですが貴重な石垣です。

 

 

本丸の奥にも曲輪がある
 

飯田城山伏丸跡
本丸の奥には本丸の背後を守る曲輪がありました。それが山伏丸です。

 

 

飯田城山伏丸の説明看板

飯田城山伏丸

 

維新前まではこの郭の中央に池があり、その周囲に武器庫四棟を建連ねて具足甲冑その他の兵器を蔵し、本丸からの入り口に番所と番人の休息所があった。池は本町通りの用水を引いて四時水を湛えていた。初め坂西氏が愛宕の地と交換するまでは、この地は真言宗山伏の修行所で、その由縁で山伏丸という。初期の飯田城の本丸跡と考えられる

 

飯田観光協会

現在では旅館になっていますが、もとはここが飯田城の本丸でした。

 

 

おまけのくつわ小道
 

飯田市くつわ小道

 

飯田市くつわ小路の町並み
飯田城址の北側も城下町がありました。ここは昭和の雰囲気が残るくつわ小路。飯田城散策の面白いポイントは、周辺の城下町跡に古い町並みが残っているということ。江戸時代の建造物もあれば昭和の町並みも残っています。地形も楽しむことができるので、車より歩いて散策したほうが楽しめると思いました。