佐賀県神埼(かんざき)郡の吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の遺跡ですが、城郭研究では城の始まりとして研究されている史跡です。
城の始まりとされている吉野ヶ里遺跡。日本100名城の88番にも登録されている環濠集落です。では実際にはどんな史跡なのか?見どころをチェックしてみましょう!
もくじ
まずは電車での行き方です。電車を使って吉野ヶ里歴史公園へアクセスする場合、最寄り駅の吉野ヶ里公園駅を目指します。
ちなみに主要な役や空港からのアクセス一例は次の通りです。
・福岡空港
福岡空港⇒博多⇒鳥栖⇒吉野ヶ里公園(約1時間30分 1,100円)
・博多駅
博多⇒鳥栖⇒吉野ヶ里公園(約1時間 840円)
吉野ヶ里公園駅に着いたら、後は徒歩、レンタサイクル、タクシーいずれかで吉野ヶ里歴史公園まで移動します。
徒歩
約15分くらいです。
レンタサイクル
吉野ヶ里公園駅にレンタサイクルがあります。200円です。
タクシー
駅にタクシーが駐車しています。駅から吉野ヶ里歴史公園まで約700円くらいです。
次に車での行き方です。車で吉野ヶ里歴史公園にアクセスするときは、まずはカーナビで吉野ヶ里歴史公園と入力すれば、よほど出てくると思います。
またロードマップでアクセスする時は、吉野ヶ里歴史公園の住所をチェックしてみると良いです。
住所
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
吉野ケ里遺跡は、日本城郭協会の日本100名城に登録されています。
そこで100名城スタンプの設置場所は、入場ゲートの料金所です。そこに100名城スタンプも置いてあるので、入場料を支払うときに忘れずに押しましょう。
あとスタンプ台帳は普通に本屋さんで販売しています。まずはあなたの家の近所の本屋さんをチェックしてみてください。もしなければネット通販でも購入できます(楽天ブックスなら送料が無料)
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吉野ヶ里歴史公園は有料施設です。入場料は大人(15歳以上) 460円必要です。
ただしいろんな割引も多いです。例えば年パス、2日間通し券、シルバー割りなどがあります。
ちなみに私がよく利用するJAFの会員割引は、勾玉づくり体験料が100円割引になるだけで、入場料には適用されませんでした。
詳しくは公式サイトからチェックしてみてください。
吉野ヶ里歴史公園は非常に広く、いろんなゾーンがあって、初めて訪れた時、まず最初にどこに行けばよいのか戸惑います。
そこで私が体験した感想ですが、オススメは吉野ケ里遺跡に来た時、まずは展示室を目指すと良いです。
その理由は3つあります。
ひとつ目に資料やパネル、地図が展示されており、吉野ケ里遺跡の歴史や出土品などをみることができるという点。
二つ目に展示室周辺にはボランティアガイドも多く、いろんなことを尋ねることができるから。
そして三つ目は展示室は遺跡のメインともいえる、南内郭、北内郭にも近く順路みたいにスムーズに移動できるからです。
ここですね!
ちなみに展示室の入場料は無料。中には自販機もありますしトイレも完備しているので、休憩もできますね。
すべての展示をジックリ見ていると、それだけで1時間は必要になるくらい興味深いものがあります。
例えばこんな地図もあります。これは現代の地図に弥生時代後期の吉野ヶ里遺跡を落とし込んだもの。
JR長崎本線や国道34号線、そして県道吉野ヶ里歴史公園線などが近くを通っていることが分かりますね。これだけ広範囲だったという事です。
吉野ヶ里遺跡はとても広く、隅々までジックリ見て周ると1日じゃ足りないくらいです。
でも城巡りは時間が限られているので、吉野ヶ里遺跡のここは絶対に見ておきたい!というポイントをお伝えします。
それが南内郭、北内郭、北墳丘墓の3つのゾーンです。
南内郭
展示室に近い南内郭(みなみないかく)は、吉野ヶ里という【国】の上流階級である大人(だいじん)や王が政治を行っていた場所と考えられています。また住居でもありました。
南内郭は土塁、濠(ほり)に取り囲まれ、物見櫓もいくつかあります。
広場の中心には王や大人(だいじん)が住んでいたと考えられる竪穴住居や煮炊き小屋、そして集会所みたいな場所もあります。
ちなみに大人(だいじん)達の中で最高権力者が王と考えられています。
竪穴式住居の中にも入れます!
中では軍事や土木工事に使う道具を作っているのでしょうか?人形が当時の様子を表現していますね。
これは物見櫓。周辺を見渡すことができます。この物見櫓も登ることができるんです!
吉野ヶ里遺跡にはいくつもの物見櫓があります。これはそれだけ敵が攻め込んでくる可能性が高かったということでもありますね。
実際に吉野ヶ里遺跡では、合戦で亡くなったと思われる首が無い人骨なども発掘されています。
北内郭
吉野ヶ里遺跡の北内郭(きたないかく)は、王の宮殿ともいわれる最重要区域です。田植えや稲刈りの日取り、戦いや狩りの祈りなど、重要なことはすべて北内郭で決定されたと考えられています。
そしてその最重要施設が主祭殿です。
主祭殿では指導者たちが重要な事を話し合ったり、最高司祭者が祖先の霊に祈りを捧げる儀式が執り行われていたようです。
主祭殿は発掘調査の成果や古代中国の事例を参考にして、高さ16・5mで再現してあります。
内部は2階建て(?)になっています。まず1階では王が大人(だいじん)達と会議を行っている様子が表現されています。
中央に座っている人物が王なのでしょう。
2階では最高司祭者の巫女(ふじょ)が祖霊からお告げを授かる儀式を行っています。邪馬台国の卑弥呼もこうした儀式を執り行っていたのでしょうか?
北墳丘墓
北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)は歴代の王の墓です。
西には濠を渡って走る墓道、南には祖霊の宿る立柱(りっちゅう)、そしてお供えや祈りをささげる祠堂(しどう)があります。
周辺には甕(かめ)がたくさんあります。これは甕棺墓列(かめかんぼれつ)といい、甕棺(かめかん)とは棺桶(かんおけ)の事です。
弥生時代の九州北部にだけ見られる棺桶で、吉野ヶ里遺跡では長さ600mにも及ぶ2本の「甕棺墓列が発掘されています。
北墳丘墓を守る祖先の霊を祭る立柱。北墳丘墓は弥生時代後半には単なる墓地ではなく、祖先の霊を祭る祭壇として、人々の信仰の中心となった様です。
個人的に驚いた墳丘墓の中。なんとそのまま資料館として公開してありました。
中央の遺跡には降りることができないのですが、周辺からでもかなり近い位置から見学することができます。また足元も一部ですがガラス張りになっていて、遺跡の様子を見ることができます。入場無料。
オマケ
あと個人的にチェックポイントと思うのを少し追加しておきます。まずは逆茂木(さかもぎ)。乱杭(らんぐい)とも言います。これは簡単にいうと敵の侵入を防ぐバリケードです。
中世の城にも見られる防御の工夫で、弥生時代の吉野ケ里遺跡にもすでにあったのですね。
そして一部分の外濠(そとぼり)は降りることができます。吉野ヶ里遺跡は内濠と外濠があるのですが、外濠のほうが深くて急峻なのです。
降りてみるとこんな感じです。角度が急なので、よじ登るのも難しい作りになっています。この濠に降りる体験は個人的にもオススメです。
吉野ヶ里歴史公園の楽しい部分は史跡だけではありません。レストランにも工夫が施されています。それは古代赤米をライスに使っているという事。
例えばこの卑弥呼御膳(1,580円)のご飯の部分をよく見てみると…
赤米になっています♪赤米は古代米のひとつで、現在の赤飯とは違う米です。食べてみた感想ですが、味はそんなに個性的ではなく、違和感も少ないです。触感は思ったより柔らかく食べやすい様に炊いてあります。
古代米というと、硬くて食べにくいというイメージがありますが、この赤米は抵抗なしで食べることができました。
売店では赤米アイスも販売しています。お値段は200円。そのほかお土産用の赤米も販売しており、自宅で古代の赤米ごはんを再現することもできますね。
吉野ヶ里歴史公園の所要時間と私の感想について。
まず所要時間ですが、隅々までゆっくり見学しながら周ると、2日は必要だと思います。今回私は要所のポイントを絞って周ったのですが、所要時間は3時間もかかりました。
でも勾玉作りなどの体験コーナーはチャレンジできませんでしたし、もっとゆっくりボランティアガイドの話も聞きたかったという気持ちはありますね。
あと吉野ケ里遺跡の感想ですが、城郭研究上、城の始まりといわれる理由がよく伝わる遺跡だと思いました。その理由は遺跡を取り巻く環濠、城の曲輪を想わせる内郭などです。
かつて神奈川県の小田原城などが、町をすっぽりと取り巻く総構え(そうがまえ)の城だったことは有名ですが、吉野ケ里遺跡も村をすっぽりと環濠で取り巻いた弥生時代の総構えの城といえるのではないでしょうか?
周ってみると、日本城郭協会の日本100名城に指定されるにふさわしい遺跡だと思いました。日本城郭検定にもチラホラ出題される城なので、学ぶことは多かったです。