岐阜県岐阜市の崇福寺(そうふくじ)は織田信長の菩提寺で、岐阜城の血天井が移築してある臨済宗妙心寺派の寺院です。
※崇福寺の読みは そうふくじ
崇福寺は私も何度も行ったことがありますし、愛知ウオーキング城巡り倶楽部の見学会でも訪れた寺です。
なぜかというと、岐阜城とセットにしやすいから。
この記事では、崇福寺のアクセス方法から見どころポイントをまとめてみました。
岐阜市長良福光2403-1
崇福寺のアクセス方法を説明します。まずは電車編。
電車で行く場合の一例として、JR岐阜駅からバスで移動するという方法があります。
降りるバス停は長良川国際会議場北口
バス停から徒歩1分です。
また車での行き方ですが、岐阜市の崇福寺(そうふくじ)をカーナビの検索で入力すると出てくると思います。
ロードマップで行く場合は、崇福寺の住所を拾うとアクセスできると思います。
岐阜市長良福光2403-1
崇福寺には参拝者用の無料駐車場があります。
崇福寺の参拝時間と入館料です。
まず年中無休ではないので、休みの日をチェックしておきましょう。
あと入館料も必要です。この入館料で本堂と信長の廟所も入ることができます。
崇福寺の見どころを紹介します。まずは西美濃三人衆のひとり・稲葉一鉄が寄進した梵鐘。
ここで話終わっておけば良いのですが、実は元和元年(1615)に改鋳され、その後、太平洋戦争でも提出されました。
つまり現在の梵鐘は再々製なのです。ここまで来ると稲葉一鉄関係無いように思えますが、稲葉一鉄が梵鐘を寄贈したという歴史は残るということでしょうか。
室町時代前期から後期にかけての公卿・一条兼良寄贈の中門と土塀が残っています。
※特に中門は当時のまま
崇福寺を創建した斎藤氏と一条氏は繋がりがあり、兼良の娘をが斎藤氏に嫁いでいます。(※これが利貞尼:りていに)。
本能寺の変後、信長の側室・お鍋の方が信長の遺品を崇福寺に持ち込み、信長と信忠の廟所が作られました。
遺骨を埋葬しているのではなく、遺品を埋葬して廟所としているのですね。
ここも参拝可能です。
崇福寺を開山した斎藤利匡(としただ)一族の墓。この宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、文明〜永正年間に作られたものということが分かっています。
外を一通り周ったら、次は本堂です。まず目に付いたのが御朱印。1つ300円で3種類あります。
御朱印帳に記帳してくれるタイプではなく、あらかじめ書いてあるものを張るタイプですね。
織田信長公菩提所というのが斬新です。
本堂の奥にある清洲城の鯱瓦。
これは天守なのか櫓のものなのか分かりませんが、非常に貴重なものですね。
名古屋城の西北隅櫓が、かつて清洲城の天守を移築したものということで、清洲櫓という別名がありますが、これは最近の調査により、天守の移築ではなく天守の部材が使われているのだとか。
崇福寺にある清洲城の鯱瓦も、かつての清洲城を思い起させる逸品ですね。
個人的にはこれが一番の見どころだと思います。岐阜城の血天井です。
慶長五年(1600)の関ヶ原合戦の約1ヵ月前に、西軍に付いた岐阜城は、東軍の攻撃を受け落城しました。
城主の織田秀信(信長の孫)は、出家して高野山へ向かいましたが、38名の将兵は天守で討死しました。
その供養のために、将兵の血が付いた天守の床を崇福寺に移築し、現在に残っています。
血天井といえば、鳥居元忠の伏見城が有名ですが、岐阜城の血天井もあるんですね。
よく見ると籠手の鎖の跡などがクッキリ残っていて、壮絶といわんばかりです。
崇福寺の所要時間は約1時間ほどです。それだけあれば、ジックリと見て周ることができます。
私の崇福寺の感想ですが、このお寺は岐阜城とセットで巡るのがオススメだと思います。なぜかというと、岐阜城から歩いても30分くらいですし、車なら10分もかからないくらいの近さだからです。
また貴重な史跡を見る事ができますし、その中でも岐阜城の血天井は必見ですね。
御朱印も複数ありますので、戦国時代や城好きの方、また関ヶ原合戦が好きな方は関連史跡ということでチェックしておきましょう!