静岡県浜松市にある信康山清瀧寺は徳川家康の嫡男だった松平信康(岡崎三郎信康)の墓所がある寺です。松平信康は今までは歴史ファンくらいにしか知られていませんでしたが、令和五年(2023)のNHK大河ドラマ・どうする家康で細田佳央多さんが演じたことが印象的でした。
松平信康は徳川家康の跡継ぎと考えられていた人物ですが、母である築山殿(瀬名)と共に武田氏への内通を疑われ。、天正七年(1579)に二俣城で切腹させられました。信康の首塚といわれる廟所が愛知県岡崎市の若宮八幡宮にあることから、清瀧寺の廟所は胴塚ともいわれています。
浜松市天竜区二俣町二俣1405
信康の父・家康は【徳川】を名乗っていたので信康も生前は徳川姓を名乗っていたと考えられますが、江戸幕府が【徳川】姓を名乗る事ができるのは将軍家、御三家、御三卿のみという方針をとったため、信康は死後になって岡崎三郎松平信康に格下げされたという説が一般的でした。
しかし歴史学者・渡邊大門氏は天正三年(1575)年に織田信長が佐久間信盛に宛てた書状の中で、娘婿だった信康を『松平三郎』と記載してあったことを指摘。これにより家康が徳川姓に改称した後も信康は松平姓を名乗っていたことが判明しました。
清瀧寺は階段を登って信康の廟に向かいますが、ふもとから徒歩5分ほどで廟所の前に着きます。
奥に行くと信康の墓がありますが、一般人の参拝はここまで。中に入る事はできません。
廟所の手前を見てみるといくつかの墓があります。これは信康が切腹した時に殉死した吉良於初(初之丞)、当時二俣城主だった大久保忠世、三方ヶ原の戦いで亡くなった中根正照、青木吉継の墓です。
どんな人たち?
信康の近侍。信康を追って殉死。享年15
二俣城主。現在に残る天守台、向かいの鳥羽山城の庭園などを作る。
徳川軍が最初に二俣城を落とした時に入った武将。後に武田軍に奪われ三方ヶ原で戦死。
青木貞治とも。中根正照と共に二俣城に入城した武将。三方ヶ原で戦死。
清瀧寺には高低差を利用して復元された二俣城の井戸櫓があります。この井戸櫓には次の様なエピソードが残っているのです。
武田信玄が徳川軍が籠もる二俣城を攻めた時のこと。二俣城は天竜川に守られた要害の地にあり、なかなか落とすことができませんでした。しかしよく見ると二俣城の城兵は井戸櫓から天竜川の水を汲んで飲水にしていたのです。
この事に気づいた信玄はたくさんのイカダを川上から流し、井戸櫓の柱に激突させて櫓を壊してしまいました。川から飲水を汲むことができなくなった城兵たちは、しばらくして降伏。こうして二俣城は武田軍に落とされてしまいました。
本田技研工業株式会社(ホンダ)の創業者である本田宗一郎はこの地の出身です。二俣町立二俣尋常高等小学校(現・浜松市立二俣小学校)に通っていた時、早弁をするために正午を報せる清瀧寺の鐘を30分前に突き、まんまと早弁に成功したといわれています。
清瀧寺の所要時間は信康の廟所に参拝するくらいなので約15分もあれば十分だと思います。私の感想ですが清瀧寺は二俣城址の近くなのでセットで訪れるのがよいと思いました。
また信康が切腹した築山事件については謎が多いものの、大河ドラマの影響もあってか信康も人気が出てきた戦国武将のひとりだと思います。これから研究も進みいろんなことが分かるとよいですね。