丸い縄張の円郭式の城って全国でここだけ!静岡県藤枝市の田中城跡

丸い縄張の円郭式の城って全国でここだけ!静岡県藤枝市の田中城跡

 

 

静岡県藤枝市の田中城跡は駿河の今川氏が築城した城で、後に武田氏、徳川氏の城となりました。

 

 

また晩年の家康が鯛の天ぷらを食べて死亡したという話が残りますが、その天ぷらを食べたのが田中城だったという説があります。

 

 

>>詳しい田中城の歴史 | ウィキペディア

 

 

田中城は平城で、城跡は住宅地になっており家がたくさん建った開発された城跡ですが、お城ファンは必ずチェックしておいた方が良いと思う城ですね。

 

 

なぜかというと田中城の縄張りは円郭式(えんかくしき)といい、簡単にいうと丸い城で、全国の城の中でもこれだけハッキリ丸い城は例が無いからです。

 

 

似た様な形に函館市の五稜郭がありますが、あれは円郭式ではなく稜堡式(りょうほしき)といいます。

 

 

では、そんな田中城はどうなっているのか?詳細レビューでチェックしてみましょう。

 

 

もくじ

 

 

 

 

 

 

 

 

田中城のアクセス方法

まず電車で田中城への行き方ですが、JR西焼津駅が最寄り駅です。

 

 

駅を降りて、しずてつジャストライン・五十海大住線に乗り、六間川バス停下車します。そして徒歩5分ほどで田中城に着きます。

 

 

 

 

 

 


車でアクセスする場合は、建物検索で田中城下屋敷と検索します。すると駐車場がある資料館に行くことができます。

 

 

ロードマップで行く場合は、田中城下屋敷の場所の住所をチェックして行くと簡単に行けます。

 

 

田中城下屋敷の場所の住所

藤枝市田中3丁目14−1

 

 

田中城下屋敷の場所の地図

 

 

 

 

 

最初に下屋敷に行く3つの理由

 


田中城に行く時、城内を散策する前、一番最初に田中城下屋敷に行くことをオススメします。

 

 

(駐車場がある場所です)

 

 

なぜかというと、駐車場以外にも次の3つの理由があるからです。

 

 

 

 

 


まずひとつめの理由は、田中城に関するパンフレツトやリーフレット、そして資料が無料配布されているからです。

 

 

住宅地図に縄張り図を落とし込んだ散策地図もあります。

 

 

地図が有るのと無いのでは、散策のスムーズさも全く違うので、まずはこれらの資料をチェック(ゲット)した後、城内を散策しましょう。

 

 

 

 

 


2つめの理由は、田中城下屋敷には田中城の本丸櫓が移築されており、内部公開されているからです。

 

 

かつての田中城時代には、城に天守はなく、石垣の上に二層二重の物見櫓が建っていたといわれており、明治時代に旗本に払い下げられました。

 

 

しかし昭和に入り、住民から寄贈を受けて、現在の史跡田中城下屋敷に移築されています。ちなみに入場は無料。

 

 

 

 

 


本丸櫓の中は資料展示がメインで、1Fと2Fにそれぞれ異なった資料が解説してあります。

 

 

あまりネットに出ていない様な地元ネタから東海道に関する情報もあり、散策前にチェックしておくと散策の参考になります。

 

 

 

 

 


あと個人的に要チェックだと思ったのは、この田中城のジオラマですね。

 

 

その理由は、住宅地と化した田中城をドローンから見下ろした様に詳しくチェックすることができるからです。

 

 

そして3つ目の理由は、土日祝日になると地元のボランティアガイドの方がいる時があり、地元の歴史好きの方のお話を聞くことができるからです。

 

 

私の感想ですが、この地元の話というのが一番重要なチェックポイントでもあると思います。

 

 

なぜかというと、田中城跡で生まれ、田中城跡で育った人もおり、昭和の頃の様子や語り継がれてきた地元の歴史の話が聞けるからです。

 

 

本やインターネットには出ていない話も聞けたりする場合があるので、あなたの時間に合わせて話を聞くのも良いと思います。

 

 

 

 

 

住宅地に溶け込んだ土塁と堀


では早速城内を散策してみましょう。

 

 

まずは田中城下屋敷の横を流れている六間川(ろっけんがわ)。かつて田中城内と足軽屋敷を分けていた川です。

 

 

川の北側が田中城。川の南に足軽屋敷などの下級武士の住まいがありました。

 

 

 

 

 


田中城の丸い縄張は、現在の住宅地の道にもそのまま適応されています。

 

 

つまり住宅地の道もまた丸く、常にカーブが続く場所もあります。

 

 

 

 

 


そして住宅地の中にかつての田中城の遺構を見る事ができる場所もあるんです。写真は三之堀と土塁跡。

 

 

堀と土塁はセットになっている事が多いです。なぜかというと、堀を掘った時に出た土で土塁を盛るからです。こうすれば一石二鳥ですよね。

 

 

写真では土塁はチラッとしか映っていませんが、幅は数mあり登る事ができます。また堀も現在の溝よりも、もっと広い幅だったのでしょう。

 

 

 

 

 


三之堀を住宅越しにたどっていくと、空き地に出ます。この空き地は田中城の家老・馬渕新右衛門の屋敷跡で、ハッキリと土塁も確認できる場所です。

 

 

空き地の前に詳しい案内看板があるので、現在地のチェックと縄張り図もチェックしておきましょう。

 

 

 

 

 

 


堀といっても城外との境にだけあった訳ではありません。写真は城内にあった三日月堀。三日月の形をしていたのでこの名前が付きました。

 

 

今では住宅の下に半分以上埋もれていますが。、その名残を看板と共にチェックできます。

 

 

 

 

 

 


そして個人的に一番の堀の見どころだと思うのが、この大手二之門址の水堀です。

 

 

住宅街の真ん中に突如、沼みたいなものが現れたので驚きましたが、これもかつての内堀なんです。

 

 

 

 

 


縄張り図でいうとここですね。本丸や御館のすぐ近くです。現在でも澄んだ水が流れています。

 

 

 

 

 


田中城本丸は藤枝市立西益津小学校になっています。

 

 

※西益津の読みは にしましづ

 

 

小学校なので中に入る事はできませんが、地図や縄張り図で本丸の位置を確認する時、この小学校が基準になると思います。

 

 

ちなみに隣りに西益津中学校がありますが、中学校がある場所に御殿(御館)があったそうです。

 

 

あと田中城下屋敷から西益津小学校まで歩いてきた人なら気が付いたと思いますが、県道244号線が城内を貫通しています。

 

 

思いっきり遺構(城内)を分断している県道ですが、正直、散策には思いっきり便利な県道でもありますw

 

 

 

 

 

御成街道と馬上の清水


田中城は旧東海道に近いのですが、城内から出ている街道があります。それが御成街道(おなり かいどう)です。

 

 

徳川家康が鷹狩りの時によく通った道なのでこの名前が付きました。現在では県道になっていますが、田中城下屋敷のパンフに御成街道も記載されています。

 

 

 

 

 


田中城から御成街道を300mほと行ったところにある馬上の清水。

 

 

徳川家康が鷹狩の時、家臣にこの泉の水を汲ませ、馬に乗ったまま飲んだ事からこの名前が付きました。

 

 

今でも水が湧いているみたいでかなりキレイな水です。鯉が泳いでいました。

 

 

 

 

 

田中城の水源地


田中城を散策していて気付いたのが井戸が無い事です。

 

 

もしかするとどこかにあるのかもしれませんが、江戸時代の田中城は、城外から上水を流し運んで使用していたのです。その水源地が現在の姥ヶ池(うばがいけ)です。

 

 

 

 

 


姥ヶ池は田中城の外にある池ですが、当時から澄んだ水が流れていました。

 

 

この姥ヶ池から直径30センチほどの木管を使って田中城内に水を引き込み、城内や侍屋敷の上水として使用していたそうです。

 

 

現在も水が湧いており、案内看板も建っています。

 

 

 

 

 

 

旭傳院の移築門


駐車場がある田中城下屋敷から徒歩10分のところに旭傳院(ぎょくでんいん)の山門は、田中城からの移築門といわれています。

 

 

ただ、これが田中城のどこにあった門化は今でも議論が続いており分かっていません。

 

 

私の感想ですが、大きさから考えてみると大手門(玄関口)ではなく、城内の屋敷門くらいなのかなと思いました。

 

 

あと旭傳院には、文化財指定の松があります。

 

 

間近で見ると龍みたいに迫力がある松なので、これも門とセットで要チェックですよ。

 

 

>>旭傳院の場所の地図

 

 

 

 

 

 

家康の死因は鯛の天ぷらなのか?

晩年の家康が鯛の天ぷらにあたって、それがキッカケで亡くなったという話は有名ですね。

 

 

その鯛の天ぷらを食べたのが田中城ともいわれており、実際に田中城の無料パンフの中には、郷土史家の方が検証した、田中城で家康が鯛の天ぷらを食べたであろう説のレポートが置いてありました。

 

 

これが本当となると、

 

 

田中城は江戸時代に東照大権現として崇められた徳川家康の死のキッカケを作った不吉な城

 

 

という事にもなりますね。

 

 

 

 

 

そこで実際、徳川家康は本当に鯛の天ぷらがもとで亡くなったのかを調べてみました。

 

 

いろんな見解がある中、現役のお医者さんで歴女医、医学博士の馬渕まり氏は、著書・戦国診察室で家康の死因は鯛の天ぷらではなく胃がんという指摘をされています。

 

 

鯛の天ぷらを食べて家康が腹痛を起こした現象は、食べ過ぎではないかとの事。

 

 

腹痛後、数か月後に亡くなっていますからね。

 

 

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私の感想

私の田中城の感想ですが、円郭式の縄張りの城を知っておくために、城好きの方は一度は訪れておくことがオススメの理由と思いました。

 

 

あと巡りながら疑問に思った事があります。それは、『なぜ田中城以外に円郭式の城が気付かれなかったのか?』という事。

 

 

今川も武田も徳川も、戦国時代をバリバリに生きてきた大名ですし、なぜ田中城を所領にしておきながら、その後、田中城に習って円郭式の城を築かなかったのか?

 

 

これは私の仮説ですが、もしかすると円郭式の縄張りは効率が良くなかった、または何かの都合が悪かった縄張ではないかと思います。

 

 

その理由は、円郭式の縄張りが優れていたのなら、今川は義元が亡くなって衰退したからともかく、武田や徳川が他に円郭式の城を必ず築いているハズと思ったからです。

 

 

では円郭式の何が悪いのか?

 

 

現状ではよくわかりませんが、武田にしろ徳川にしろ、何かの不都合があったから円郭式の城を手中に収めていながら、他に築かなかったのでしょう。

 

 

この辺は今後の研究に期待大ですね。

 

 

ともあれ住宅地と化した田中城ですが、地元の保存会の方のご尽力により、碑や案内看板も建っているので、比較的分かりやすく散策できると思います。

 

 

所要時間は急いで周って約1時間くらい。

 

 

ジックリ周って3時間ほどだと思います。

 

 

 

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