大坂冬の陣で真田信繁(幸村)が活躍した大坂城の出城・真田丸は跡地が残っています。大阪城とセットで行くことができる近さなので、大阪城の城巡りついでに行って見てください。
真田丸の最寄り駅は大阪メトロ線玉造(たまつくり)駅です。新幹線で新大阪駅に来た時やJR大阪駅に着いた時、真田丸にアクセスする場合は大阪メトロ線玉造駅を目指しましょう。
>>電車で真田丸へのアクセスの詳細
玉造駅から歩いてすぐの三光神社には、真田信繁(幸村)の銅像があります。この地は周辺よりも高台にあり、かつての出城の雰囲気が残っています。
銅像のすぐ下に真田の抜け穴跡という史跡があります。これは伝承によるとここからかつての大坂城に繋がっており、真田信繁と真田十勇士が大坂城と真田丸を行き来し、幕府軍を大いに悩ませたそうです。
現在は入り口に鉄格子があり、中を覗いてみると石垣が積んであるじゃありませんか!?実際に大坂城へ行けたのかはわかりませんが、これも真田丸のミステリーのひとつです。
真田丸を訪れた場合、三光神社の真田信繁の銅像だけを見て満足せず、ちょっと足を伸ばして心眼寺へ行ってみましょう。所要時間は徒歩で5分くらいです。
なんと心眼寺にも真田丸跡の石碑があります。その理由ですが、三光神社が真田丸跡というわけではなく、その周辺一帯も真田丸だったということです。心眼寺の入り口に石碑があります。
心眼寺の説明看板
現地には明治十八年の地図をもとにした真田丸の位置を示した地図がありました。この地図を見るとかなりの広範囲だったことがわかります。
改めて心眼寺を見ると高台にあります。この高低差が真田丸があった時から残っているものなのでしょうか。
さらに近くには空堀町の地名が残ります。現在は空堀みたいな大きな窪みは全く見られません。私の仮説ですが、昭和の頃の開発で空堀跡も埋められ、現在では地名として残っているケースではないでしょうか。
心眼寺には真田信繁の墓がありました。豊臣の姓で作られた墓です。
墓前には5円玉で作られた六文銭が奉納してありました。六文銭は真田家の旗印。三途の川の渡し賃が六文なので、いつでも三途の川を渡れるつもりで戦に望んだといわれています。
私の真田丸の感想ですが、現在ではかなり開発が進んでいますが、銅像や石碑、案内看板で分かりやすく説明してあると思いました。真田丸の所要時間は三光神社と心眼寺合わせても30分くらいです。ここがメインというよりも、大阪城や真田信繁最期の地である安居神社とセットにすることで、旅行の満足度も上がるのかなと思いました。