長野県下伊那郡松川町の大嶋城址(大島城址)は、平安時代に大嶋氏が築き、戦国時代に武田信玄が大改修した城です。
大嶋城は個人的に好きな城です。その理由は以下の3つです。
(1)天然の地形を活かした築城がよく分かる
(2)遺構がよく残っている
(3)縄張りがシンプルで分かりやすい
では具体的に見ていきましょう!
グーグルマップなど地図アプリで見てみるとすぐに分かるのが大島城の立地場所。天然の地形を活かして築城されているのがよく分かります。特に東を流れる天竜川は天然の堀になりますし、物資を運ぶ運河にもなります。
大島城内は公園として整備されていますが、城の遺構がよく残っています。これは私の感想ですが、特に公園入り口付近に大きく残る馬出と三日月堀は圧巻です。よくこれだけの規模の遺構を残したな〜と感心しきり。もちろん公園内にも濃厚な遺構が残っております。
伊奈大島城の最大のポイントのひとつが縄張りのシンプルさとコンパクトさです。もちろんこれは城巡りを楽しむ一般ユーザーとして。学芸員とか学者の方々は巡りやすさなんて論外なのでしょうけれど。
まず伊奈大島城の縄張りは大きく分けて馬出、三の丸、二の丸、本丸の4つに分類されています。それぞれ見るべきポイントはあるものの、基本はこの4つの区画です。だから公園入口から順番に巡ればOK。
またポイントごとに堀切とか馬出とか土塁などの看板もありますし、それ見る以前に遺構が分かりやすいというのも伊奈大島城のポイントだと思います。
そんな中、気をつけたいのが公園内の道。これは公園整備の時に作られた道で、城があった時代の道ではないので導線がおかしくなります。
これは現地の縄張り図。この場合、公園の道はアタマの中で一度リセットします。そしてこの縄張り図にある赤い道(たぶん木橋)みたいに曲輪と曲輪が繋がっていたのだなと考えると、縄張りをよく理解できるのです。そう見ると横からの攻撃とかが分かります。
トイレの前のラックにいろんな資料がありますが、これは巡る前に必ずチェックしておきたいです。なぜなら縄張り図や貴重な資料など、保存版で活用できる貴重なものが多いから。まあ、品切れの際にはご容赦ください。
あとこれは個人的な気づき。本丸に慰霊碑が建立されています。これは大島城の歴史の中で亡くなった人を慰霊するためのもの。武田の侵攻もあるのでしょうけれど、やはり多くは天正十年(1582)の織田軍侵攻の時でしょうか。
私が住んでいる愛知県やお隣の岐阜県では織田信長は英雄であり、名古屋市、桶狭間古戦場、清須市や岐阜市では織田信長は歴史祭りで人気の武将です。でも歴史を見てみると、織田軍の侵攻で亡くなった方が多い地域や城もあるということ。
これは愛知県から外に出ないと、なかなか気づきにくいポイントなのかなと思います。織田信長の侵略で、多くの方々が亡くなっているとこもあるということ。
伊那大島城の所要時間は約1時間くらいだと思います。城内の写真を撮りまくっているだけでも時間が経つのも忘れてしまいますよ。
私の感想ですが、伊奈大島城は城巡りが好きな方は是非、訪れたほうが良いと思います。その理由はオススメの3つの理由もそうですし、学ぶことが多い城だからです。特に市役所とか城址整備に関する団体の方は、大島城の整備のあり方を見ておくと、地元の城跡の整備をする時に参考になると思います。