城と周辺の地形が分かる国土地理院の基盤地図情報、あなたは活用していますか?
これは調べたい地点の地面の下、つまり地形と高低差が分かる地図を閲覧できるサービスです。
グーグルマップなどで、ある程度は地形が分かるものの、それ以上詳しく調べるとなると、国土地理院の基盤地図情報がオススメです。
NHKのブラタモリですっかりおなじみになった基盤地図情報ですが、今回は愛知県のいくつかの城を調べてみることにしました。
するとこの画面が出ます⇒ 基盤地図情報
すると高低差を示した地形図が出てきます。後は見たい場所を拡大して見るだけです。
では愛知県内のいくつかの城と周辺の高低差を含む地形を見てみましょう!
まずは愛知県の地形をチェックしてみましょう。東三河に行くほど高低差が高くなっているのがよく分かります。
逆に名古屋市の一部は、伊勢湾により濃い色で【水】が示されていますが、これは海抜がマイナスの名古屋市中川区周辺、そして飛島村とか蟹江町の地形です。
岡崎城も特徴がよく分かります。
まず赤の矢印が指している部分、ここは岡崎城の本丸がある場所です。
岡崎城は岡崎城は室町時代中期に三河守護代だった、西郷稠頼(つぎより)が康生元年(1455)に築いたといわれています。
その築城当時の規模は、現在の本丸がある場所くらいといわれており、基盤地図で見るとクッキリした区画が分かりますね。
田原城が現在、駅に近い商業地が広がっている賑やかな場所にありますが、基盤地図情報で見るとココも小さな台地上にあることが分かります。
また東から南にかけては海、もしくは入江になっており、西側の山を背にした築城だったことも一目でわかりますね。
西尾城は是非、基盤地図で見てほしい城のひとつでもあります。
赤い矢印が示している場所は、現在の本丸部分。鳥居は西尾神社(もしくは御剱八幡宮)。
でもこの場所は、東北側から延びる台地の先端で、現在の文化会館や、おしろタウンシャオがある西尾市下町周辺は海だったことが分かります。
確かに現在でも低い土地なのですが、西尾城の本丸がある場所は、台地の端だったという事です。
さらに興味深いのは、名古屋城がある場所。実は熱田台地(那古野台地)の北端にあります。
これが非常に重要なポイントで、名古屋城が築かれた理由でもあるのです。
名古屋城は慶長五年(1600)の関ヶ原合戦後、徳川家康によって築かれました。
でも尾張国には、織田信長時代から続く清洲城がある清須が首都だったのですが、それを廃して名古屋城が築かれたのです。
これはなぜか?という理由ですが、清須は濃尾平野の城で水害に弱く、物流の拠点となる港にも遠いのです。
だから高台にある名古屋城に拠点を移し、堀川という人工の川を掘って熱田神宮の南にある熱田湊まで物資を運べる様にもしました。
私の感想ですが、地表面では分からない事も、基盤地図の標高や高低差を見ると、いろんなことが分かります。
あなたも是非、地元の城や気になる城周辺の地形や高低差をチェックしてみてください。